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占いが非科学的だと思う方へ
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★★★ 『こんにちわ。呟き尾形です』 <よっ! アルクィンだ> 【こんにちわ。フォルス・テッセラですよぉ〜】 『さて、今回は占いについての論理的整合性についてでしたね。 占いのような定量測定が難しい、けれども現象として確認しうる 定量測定というよりも、論理的な整合性を維持しながら、適切な証 拠を集めて議論をするならば科学的であるとする考え方があるということでよろしかったですね』 【そうですねぇ。 私の言う論理的整合性とは、根拠、推論過程、結論から構成された三角ロジックによる論理展開される論理構成といえますねぇ。 一般に、根拠は物的証拠に基づくものではありますが、心や社会、占いのような定量測定はかなりむずかしいものですねぇ。 そこで、論理的整合性を判断する上で、仮に仮定を含む根拠とな る事実が間違っていないとすれば、推論過程に無理がないこと内部矛盾や循環論法が少ないこと根拠となる事実や仮定同士の間で矛盾がないか、あるいは矛盾があっても結論を防衛しえる議論を尽くしていることをいみするわけですねぇ】 <あ〜、だからよ、証拠物件がねえんだろ、って話さ。 証拠物件がねぇなら、好き勝手いえるだろうよ> 【たしかに、明確な物理現象ではないことがらは、物的証拠は存在 しづらいものですねぇ。 しかし、物理現象ではないものは、科学ではないと言う横暴な 指摘になりますねぇ】 <だがよ、物的証拠がなきゃ、すきかっていえるじゃねぇか> 【だからこそ、論理的整合性が重要なのですよぉ。 好き勝手いうというよりも、前提として科学的理論の合理性は もちろん、分析方法の適切さ、参考データの信頼性に気をつけなければいけません。 仮に、好き勝手言うということは、間違った主張をするということ ですねぇ。間違った主張をするということは、どこか矛盾が生じます よぉ。その矛盾を、矛盾している間違っているで終わらせることなく、解決していくことが科学的態度と言うものではありませんかぁ】 <ま、まぁ、たしかに、間違っているだけでおわってりゃ、科学は発展しなかったしな> 【そういうことですよぉ。 ともあれ、物的証拠がないのであれば、慎重に論理、理論の構築をしなければなりませんねぇ。つまり、合理性、適切な分析、間違ったデータを使わないということを常に気遣わないと、大袈裟な議論、あるいは詭弁を許す理論を作ってしまうことになりますねぇ。 大袈裟な議論というのは、ちょっとした未来の予測ができるという ことを、全ての世界の未来は決まってなければ不可能だと過剰に解釈したり、星が人間の運命を決めているかのような論理展開をさします。 これは、占い批判によくある不適切な指摘ですよぉ】 <なんだよ、批判する側に根拠を求めるってやつか。 だったら、説明責任がどっちにあるかってはなしじゃねぇのか?> 【いえいえ〜。 説明責任として、指摘されている批判は、的がはずれているというだけですよぉ〜。 確かに、物的証拠があれば間違いありませんが、物質的な現象ではないもの、妥当な定量測定自体ないものであっても、現象は存在しますねぇ】 <心とか社会現象ってやつだな> 【ええ、その通りですよぉ〜。今回はそれに占いを加えた時、そうしたものは、誰にでも確認できる妥当な定量測定というものはなかなかできませんねぇ】 <統計とかあるじゃねぇか> 【統計も、統計の取り方、まとめ方でだいぶ解釈がかわりますよぉ。 それ自体間違いではありません。 物的証拠だって分析の仕方で解釈は変わりますからねぇ。 でも、物的証拠と統計は違うことはアルクィンにもわかりますよねぇ。 統計という結果はその分析や論証が科学的であるためには、 主張ないし結論があり、それを根拠づける客観的な根拠。そして、 その根拠と結論を関係づける演繹ないし帰納が存在するわけですねぇ】 <三角ロジックってやつだな> 【はい〜。 三角ロジックによって、論理的な整合性というものが保たれるわけですよぉ。 この三角ロジック、つまり、主張、証拠、そして、主張と証拠を関連 付ける論理としての演繹ないし帰納があれば、論理的な整合性がとれている。というわけですねぇ。 逆に、どんな確実な証拠があっても、演繹や帰納に矛盾があれば、主張と証拠に関係はないということで、論理的な整合性がとれていないということになりますねぇ】 『では、次回は、三角ロジックをテーマに議論を続けてもらいましょうか』
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呟き尾形の占いの話
呟き尾形が占星学についてまとめた、ノート代わりのblogです。