マグニチュードπ 5分間の地震
★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★
★★★ここから★★★
001 3月11日、多分、2時40分ぐらいだったと思う。地面が東西に大きく揺さぶられた #MAGNITUDE_P
002 ついに宮城県沖地震が来たのだろうと思う。不安と、いつか来るのがついに来たというある種の安堵が地震の揺れと一緒にかき混ぜられる。 #MAGNITUDE_P
003-1 安堵というのは、覚悟していた地震が終わり、不安が過ぎ去るという気持ち. #MAGNITUDE_P
003-2 直売所にいた妻が助けを求めてお互いを支え合う。 #MAGNITUDE_P
004 かなり時間がたつのにまだ揺れがおさまらない。予想以上の長さに心が大きく揺れる。 #MAGNITUDE_P
005-1 妻とお互い倒れないように支え合いながら大丈夫だと妻に言いつつも、実際は動揺する自分。
#MAGNITUDE_P
005-2 動揺しながらも次にすべきことを考える・・・思いつかない。 #MAGNITUDE_P
006-1-1 揺れが治まったかと思えば、また強く地面が揺れる。まるで地震にもてあそばれているようだ。 #MAGNITUDE_P
006-1-2 揺れが収まらない、まるで船の上にいるようなくらい揺れる。 #MAGNITUDE_P
006-1-3 目の前で売店を彩っていた寄せ植えが崩れるように落ちていく。 #MAGNITUDE_P
006-1-4 いつもならとっくに揺れが収まっているくらいの時間のはずだ。それがまだ揺れる。このまま揺れが収まらないのではないかと感じてしまう。 #MAGNITUDE_P
006-2-1 揺れている中、雪が体を冷やす。外の方が安全にきまっているが、雪にあたらないようにしなければ。 #MAGNITUDE_P
006-2-2 やっと、地震がおさまる。かなり長い間揺れていたようにおもう。 #MAGNITUDE_P
★★★ここまで★★★
震災から3カ月たとうとしているが、いまでも、弱い余震でも、あの地震を体験していると錯覚することがある。
素人の自己判断だから、なんともいえないが、PTSDにおけるフラッシュバックではなかろうかとは思う。
もちろん、それで取り乱さず冷静でいられる、地震の時、自分に冷静で居続けるように、自己暗示をかけ、常に周りのことを観察して可能な限り客観的な判断をしようとしていたから、フラッシュバックしても、とりみだすこともないのかもしれない。
怖くなかったわけではない。怖いからこそ、冷静に正しく怖がらなくてはいけなかったとおもっただけだ。
だから、手記にはかかなかったが、直売所にある鉢花が落ちる瞬間や揺れ方のことはよく覚えている。
どうにもならないなりに、次の行動を次々考えていた。もちろん、その考えのほとんどは、役に立たないものだが、役に立つアイディアというものは、役に立たないアイディアの積み重ねによって生じるものなのだから、無駄なアイディアを考え続けることが、いいアイディアを思い浮かべさせる1つの方法だとは思う。
ともあれ、後から知ったが、被災地が平均で70センチ地盤沈下するくらいの地震なのだから、あの揺れは合点がいく。
これも後からしったのだが、韓国の新聞では日本沈没などという見出しの記事が出たらしい。
まぁ、たしかに70センチ沈没したといえば、沈没したとは言えるのかもしれない。
なんにしろ、長い地震だった。なんでも5分ぐらい揺れていたと報道されていたが、感覚的にはもっと長い時間のようには思えている。
正直、怖かったが、それで地震災害が終わりだと思い込んでいた。今にして思えば何とも愚かしいことだとは思う。
愚か者は、愚か者なりに学んでいくしかないのだろう。
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