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マグニチュードπ
 信じられない情報と現実

 

マグニチュードπ 信じられない情報と現実


★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★

★★★★ここから★★★

015-1 もう、できることをやろう。絶望するも、心を無理やり奮い立たせる。 #MAGNITUDE_P

015-2-1 まず、できることは、お寺に避難する人に挨拶をすることだ。 #MAGNITUDE_P

015-2-2 副住職と会い、無事を確認し、安心する。 #MAGNITUDE_P

015-3 どんどん、お寺に避難する人がくる。お寺の入り口で、避難する人を案内することにする。 #MAGNITUDE_P

015-4 妻とAさんが玄関口、自分は、寺の入り口になる道路で案内することにする。 #MAGNITUDE_P

016 お寺にどんどん避難する人がやってくる。どういうことだ? #MAGNITUDE_P


017 中下の人よりも確実に多い人だ。 #MAGNITUDE_P

018 東名に住んでいる子供が寺にかけ子をするようにやってくる。 #MAGNITUDE_P

019 A君とその友達だ。A君は、息子と同級生なのだが、中下に遊びにきていたのだろうか。 #MAGNITUDE_P

020 聞けば、A君は、自宅の東名から来たという。大人も後から来るという。自分の想定の中では、東名から中下まで避難するというものは今の時点ではない。来たにしても1晩ぐらいあけてからだろうとおもっていた。 #MAGNITUDE_P

021 A君がお寺に来てからしばらくして、Bさんをはじめとした大人たちが避難してくる。

Bさんは波から追われるように逃げてきたという。・・・ありえない・・・ #MAGNITUDE_P

022 東名の中でも新東名は、自分が子供のころ、東名に遊びに行くときに通っていた道だ。ガードレールもない道で、崖と谷にはさまれたみちだ、幼馴染のAくんが何年か前に、あるって職場に通勤していたとは聞いていたが、もう、車も通れないような道だったはずだ。 #MAGNITUDE_P 


023 東名と中下をつなぐ道は、昨年、AさんやBさんが避難経路にできるし、市としてもするべきだといっていたが、それは正しいことだと思っていたことを思い出す。正しいとはおもっていたが、そうなるのは、もっと先のことだとおもっていた。 #MAGNITUDE_P

024-1 そのうえ、今回のように緊急避難ではなく、もっとゆっくりとした避難経路になるとおもっていた。 時間が過ぎる中、自分はただ、ただ、混乱し想像もできないことが起こっているとは思えたが、正直、何が起こっているかなんて想像もつかなかった。 #MAGNITUDE_P

024-2 避難する人がどんどん増える。それだけひどい災害だということを意味する。内心青ざめる。 #MAGNITUDE_P

025 新町が、津波でさら地になったらしいという噂を聞く。耳を疑い、聞き間違いだと自分に言い聞かせる。 #MAGNITUDE_P

026-1 Aさんの奥さんが車で自分の名をよぶ。「家がながされたんです」その声は家が流された喪失感、それでも生き残れた、避難する場所に辿りつけたという安堵感、これからどうしようとする不安感が入り混じっていた。自分は言葉を失う。 #MAGNITUDE_P


026-2それでも自分は、けがはありませんでしたか? と問いかけるほかなかった。けがはないですという言葉に、無事でなによりですと言うほかなかった。心の中の虚無感が心にヒビを入れた。 #MAGNITUDE_P

026-3 Aさんの奥さんは、Aさんの行方がわからないといった。どうにもできない自分はAさんの無事を祈るしかない。できないことは、他のできる人と運に任せるしかない。そう自分にいいかせた。 #MAGNITUDE_P

027 しばらくして、Aさんと会えた・・・よかった。奥さんは無事とつげたが、すでに知っていたようだ。 #MAGNITUDE_P

028-1 寺の厨房では炊き出しが始まっていた。中下の人の力強さと団結力に勇気づけられた。おにぎりをもらうよりも、心の力を与えてもらった。つらいけれど頑張れる。 #MAGNITUDE_P

028-2 小学校の体育館に津波が流れ込んだという。その高さは、2階部分のベランダのところまでだそうだ。AさんがBさんをつれて避難したのは小学校・・・奈落に突き落とされた気持ちになった。 #MAGNITUDE_P

028-3 噂はおおげさなものだ。そう自分に言い聞かせ、奈落のそこから這い上がる。 #MAGNITUDE_P

028-4 目の当たりにする現実、耳を疑う情報、信じられない情報と現実が続く #MAGNITUDE_P


★★★ここまで★★★

  もともと避難所ではなかったお寺に、次々と集まる人たちから聞く話は、信じられない情報ばかりだった。
 噂というものは大げさなものだ。
 そう自分に言い聞かせ続けていた自分がいた。
 もちろん、それは、噂であって欲しいという気持ちが強かったものだと思う。

 しかし、入ってくる情報はすべて自分の気持ちを否定するものだった。
 そして、被災の現場は、情報以上のひどい状態だった。

 正直、今でも、被災の現場を見ても、まだ信じられない。
 野蒜は、生れてから学生時代まで過ごした故郷だ。
 そして、就職後、転職して帰郷し、過ごしていた故郷だ。

 今でも、壊滅状態になった津波の現場と、被災前の情景が重ねてどちらが本当かわからなくなる時がある。

 おそらくは、いまでも、被災という現実が受け入れられないのだとは思う。


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