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      マグニチュードπ 避難する人であふれる避難所
        
      ★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★ 
      ★★★ここから★★★ 
      088-1-1 朝の仕事を終えて、臨時の避難所になっているお寺の案内をする。 #MAGNITUDE_P 
       
       
      088-1-2 日が昇るにつれて、徐々に山の向こう側から避難して来る人がくる。あと何人、受け入れられるのか不安になってくる。 #MAGNITUDE_P 
       
      088-1-3 お寺だって、入れる人の限界がある。入れなくなれば、断るしかないだろう。  
       
      #MAGNITUDE_P 
       
       
      088-1-4 どんどん、お寺に避難してくる人がいる。できることなら、休ませてあげたいが、もう、入りきれないくらいだ。本来の避難所に案内するしかない。 #MAGNITUDE_P 
       
      088-2-1 もともと、お寺は避難所ではない。お寺が善意で解放しているだけだから、避難してくる人を受け入れるための準備などしていない。 #MAGNITUDE_P 
       
      088-2-2 お寺には人があふれている。安否確認で来る人もいるが、お寺で避難している人は身を縮めて、なるべく多くの人が避難できるようにしている。 #MAGNITUDE_P 
       
      088-2-3 それでも、無限に人が入れるわけではないし、もう限界を超えてむりやり詰め込んでいるような感じでもある。もう、追加で人ははいれないだろう。そう判断せざるを得なかった。 #MAGNITUDE_P 
       
      089-1 入りきれないからと言って避難する人に、避難を断るのは何とも心苦しく、心が切り裂かれる思いだ。 #MAGNITUDE_P 
       
       
      099-2-1 けが人がいるんです。そういったが、もう、お寺には、物理的に入れる場所もない。廊下に弱っている人やけが人をねかせるわけもないだろう。 #MAGNITUDE_P 
       
      099-2-2 昼はいい。夜は氷点下になるのはわかりきっている。無理だし、治療なんてできるわけもない。 #MAGNITUDE_P 
       
      099-3 あと3-400m歩けば公民館で、そこにいけば、避難の本部があり、消防団もいる。そっちの方が現実的で合理的なのだが、やはり心苦しい。 #MAGNITUDE_P 
       
      099-4-1 もう入れないと告げてもどうしても避難させてほしいという人もいた。断るたびに、良心が痛む。 #MAGNITUDE_P 
       
      099-4-2 痛みに耐えられず、お寺に入れても、場所がないのだから結局、出ていくことになるだろう。事実、強引にお寺にいっても、入れなくて、公民館に行くしかないのだから。  
       
      #MAGNITUDE_P 
       
      ★★★ここまで★★★ 
       昨夜、避難所になっていた公民館の明りがついていなかった。 
       おそらくは、避難している人が仮設住宅に入居するなりしたのだろうと思う。 
       震災から4カ月以上の避難生活というのは、ちょっと想像できませんが、とりあえずは、ちょっとづつでも、震災からの復旧が進んでいるということなのだろう。 
       
       ともあれ、震災当日から2〜3日は、避難所は人であふれかえっていた。 
       当然といえば当然だ。 
       中下地区の避難所に加えて、お寺の善意で解放したものの、中下地区よりも多い地区の避難所が津波に飲まれ、津波から避難してきたわけだから。 
       中下地区の避難所の定員なんてあっさりオーバーするのは当然だ。 
       
       後で聞いた話だが、お寺には最大500人ぐらいの人が避難して一夜をすごしたそうだ。 
       本当に詰め込むように場所をつくったのではないかとは思う。 
       実際、お寺に避難する人はみんな膝を抱えて身を小さくしていた。 
       
       そんな中、入れない人に、入れないことを告げるのはなんとも心が削れる思いだった。 
       それを告げた時の落胆した気持ちは痛いほど伝わるからだ。 
       だが、物理的に入れないものははいれないのだ。 
       しかたない。 
       しかたないが、事実を伝えるというのは辛いものだ。 
       
       ともあれ、そんなお寺が避難所として機能したのは、中下の人たちのボランティア活動だったとは思う。 
       すぐに炊き出しをして、避難してきた人におにぎりをくばっていたそうだ。 
       それこそ、お米がたけたらすぐにおにぎりを作っては配っていたそうだ。 
       
       そのお米は、決して支援物資だったわけでも、緊急時の備蓄の食糧だったわけでもない。 
       中下の人たちの家にあるお米を持ち寄ったものだった。 
       困った時はお互いさまの精神でみんな助け合ったというのは、なんともうれしいことだったし、頑張ろうとも思えた。 
       
       
       
       
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