マグニチュードπ 一安心
★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★
マグニチュードπ、いつもは、ツイッターで、震災の時につけた手記を呟いたものを記事にしていましたが、今回は、なでしこジャパンの澤選手のコメントに心動かされ、あらためて、東日本大震災で、失ったものについて振り返ったので、おもわず、追記という形で記事を起こしたいと思います。
さて、菅政権は、なでしこジャパンに国民栄誉賞を贈る方針だそうです。
国民栄誉賞をなでしこジャパンにというのは賛成ですが、菅政権がそれをやるには異論があるという複雑な気持ちです。
国民栄誉賞となでしこジャパンの偉業が穢されてしまうように感じます。
なんというか、努力をコツコツと積み重ねて頑張った人を、口だけで中身のない政治活動をしてきた人が政治利用する、そんな穢れを感じるのです。
菅政権はいつもそうです。
やるべきことができないとき、違うことに現実逃避するために、論点をずらす。
そうして、やるべきことをせず、さらに自体を悪化させるわけです。
それでいて、悪いことに目をそむけ、都合のいいことだけを自慢して、自画自賛するわけです。
それはさておき、何に心動かされるかどうかはその人次第ですが、個人的には、被災地から、なでしこジャパンのワールドカップ優勝を知り、延長後半戦だけでもテレビ観戦できたのは勇気づけられました。
それだけでもうれしいのですが、澤選手がなでしこジャパンの澤選手が、試合後に現地メディアのインタビューの答えがあるblogにあり、それの日本語訳を読んで、思わず涙ぐんでしまいました。
マスコミが報じない 澤選手 日本人へのメッセージ
http://www.ttcbn.net/no_second_life/archives/13706
★★★★ここから★★★
澤選手のコメント:
“We knew that what we were doing here could be about a little more than just a football tournament. If winning this makes one person, someone who lost something or someone or was hurt or damaged by the events that touched our country, feel better for even one moment, then we have really achieved a most special thing. If it makes everyone happy and joyful and gives them a reason to cheer after such difficult times, then we have been successful. Japan has been hurt and so many lives have been affected. We can not change that but Japan is coming back and this was our chance to represent our nation and show that we never stop working. This is like a dream to us and we hope our country shares it with us.”
「我々のしていることは、ただサッカーをするだけではないことを、意識してきた。
我々が勝つことにより、何かを失った人、誰かを失った人、怪我をした人、傷ついた人、彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私達は真に特別な事を成し遂げた事になる。
こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与える事が出来たら、それこそが我々の成功となる。
日本は困難に立ち向かい、多くの人々の生活は困窮している。
我々は、それ自体を変えることは出来ないものの、日本は今復興を頑張っているのだから、そんな日本の代表として、復興を決して諦めない気持ちをプレイで見せたかった。
今日、我々にとってはまさに夢のようで有り、我々の国が我々と一緒に喜んでくれるとしたら幸いです」
★★★ここまで★★★★
なぜか、この言葉が胸を打ちました。
私は、被災して、物理的に失ったものは実に少ないものです。
それもあってか、被災した人たちの体験談に耳を傾け、辛さや苦しみを共有していき、お互いの辛さや苦しみを半分にしていこうという、震災した時に決意したことでした。
しかし、それでも、いろいろと大きなショックをうけ、心が削られるような時間を過ごしてきました。
言葉にしようもない喪失感が、すべての夢と希望が奪われるような感覚も時折感じます。
多分、自分の中で整理できない何か大切なものが失われたのではないだろうか?
そう、気付かせてくれたのが、
>我々が勝つことにより、何かを失った人、誰かを失った人、
>怪我をした人、傷ついた人、彼らの気持ちが一瞬でも楽に
>なってくれたら、私達は真に特別な事を成し遂げた事になる。
という、澤選手のコメントでした。
正直、私は失ったものは微々たるものであると思い込んでいました。
しかし、改めて、私が東日本大震災で失ったものは何なのか?
そう自問して出た答えは、一言でいえば、ふるさとという思い出なんだろうと思います。
失ったものがふるさとと一言で言っても伝わらないかもしれません。
被災した地域は私が生まれ育ち、歩き、走り、自転車で友達の家で遊び、学んだところです。青春も過ごし、一度は、上京して立ち去ったものの、再び故郷に帰り、妻と息子とともに過ごし、震災当日まですごしたのが、私にとってのふるさとです。
津波被害がひどかったところは、日常的に走っていた道があり、息子と一緒にサッカーの練習をしたりしたグラウンドでした。
その震災前まで日常的に車を走らせていた道が、津波で風景が変わり、一瞬であっても道に迷ってしまいそうになった時の感覚は、心の中に光が閉ざされた気持ちでした。
たとえるのなら、ふるさとは、津波で思い出とともに流されたということです。
さらに、子供のころ、毎日通学した小学校と中学校も津波に沈み、母校と呼べるものが思い出の中だけになってしまいました。
思いだせるはずの母校が失われるというのはなんとも、空虚な気持になってしまったわけです。
この空虚な気持ちこそが、喪失感であり、私がふるさとを失った気持ちなのだろうとは思います。
このことに気が付けて、だいぶ心の隙間は埋まりました。
あらためて、澤選手の言葉に感謝しつつ、澤選手の言葉をできるだけ多くの人に伝えられればと思い、日記に残しておこうと思います。
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