マグニチュードπ 偽善の意識
★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★
★★★★ここから★★★
110 地震前には鉢花が整列していたはずの棚はなぎ倒されるように横たわり、必然
的に鉢花たちは振り落とされていた。鉢花たちは枯れてはいないが屍のように横た
わっていた。 #MAGNITUDE_P
111 横たわる鉢花を踏まなければ先に進めない。ごめんねと心の中で呟きながら作
業を進める。胸から涙がこみ上げる #MAGNITUDE_P
112-1 これまで世話をしてきた鉢花をできるだけ生き残らせたい。一つ一つ直して
みるがとてもじゃないが、それをやっていればもっと多くの鉢花の世話ができなく
なる。冷静になれば、弱っている鉢花、横たわる鉢花は切り捨てなければいけない
のだろう。 #MAGNITUDE_P
112-2 冷静に考え、割り切れればいい。合理的に考えれば、弱っている花を見捨て
ればいいわけだが、そうにも、それができない。それでもごめんねと心の中で呟き
ながら見捨てるしかない。 #MAGNITUDE_P
113 実際、今やっている作業は無駄になるかもしれない。それでもやらなければい
けないせつなさを乗り越えるのは、ただ、ただ、つらい。 #MAGNITUDE_P
114-1 ふと、津波の犠牲者のことを頭をよぎる。自分は、ここで仕事なんてやって
いていいのだろうか? そんな思いが頭を横切る #MAGNITUDE_P
114-2 鉢花に心を痛めているのに、津波の犠牲者に心を痛めていなかった自分に罪
悪感を感じる。でも、目の前の鉢花の方に心を痛めていた自分がいた。自分は偽善
者なのだろうか・・・。 #MAGNITUDE_P
115 何が偽善なのかは、定義そのもので変わることは知っている。今、自分がやる
べきことも知っている。過去を変えられないのも知っている。それらを知っていて
も、心の余震は続く。 #MAGNITUDE_P
116 無駄かもしれない。無理かもしれない。無意味かもしれない。それでもできる
ことをやるしかない。 #MAGNITUDE_P
★★★ここまで★★★★
大災害であっても、仕事はある。
地震の大きな揺れでハウスの中にある鉢花たちが倒れるだけではなく、鉢花のおいてある棚がねじれるように倒れていた。
ここまで倒れたのは宮城県北部地震だったが、今回の地震はさらにすさまじい倒れ方だった。
それだけに、倒れた鉢は数え切れないほどだった。
まずは、これらを直さなくてはいけないのだが、作業できるのは自分だけだし、お寺の方も、避難所として開放して人があふれて大変なことになっている。
妻は、お寺で手伝いをして、私は、お寺の案内の合間をみて、ハウスの片づけをしていたわけだが、なんとも気が遠くなったし、やるだけ無駄という気持ちにもなる。
倒れる鉢も、ハウスの中の通路に横たわり、倒れた鉢を踏みながら出ないとハウスの奥にも進めない。
踏んでいる鉢花たちは、震災前まで世話をしていた鉢花だけに、自分自身を踏みにじっているような気持ちになる。
鉢花たちはは悲鳴を上げるわけではないが、踏むたびになんとも胸の奥にずしんと申し訳ないという気持ちになり、心を痛めた。
そのとき、ふと、津波で何百体もの遺体があがっているらしいという話はきいていた。その話を聞いたとき、驚きはしたが、1つの情報として認識し、鉢花に痛める心とは違う質の痛みをかんじていたことに気が付く。
私は、津波で亡くなられた人よりも、目の前の鉢花を踏みつけている方により強く心に痛みを感じていたことに気が付いた。
もちろん、目の前で遺体を目にしたわけではなく、信じられない驚くような事実としての情報と、目の前の現実に対する感覚の違いだろうとはおもったものの、人の命より、目の前の鉢花を踏みにじることに心の痛みを強く感じることはなんともショックを隠せなかったわけだ。
ここでどんな言い訳をしても、自分自身の心のことだから偽りようもないし、いくら正当化をしても、ごまかせない。
そんな自分に罪の意識がのしかかる。
罪の意識というと、ちょっと違うかもしれない。
偽善の意識という方がより的を得ているような気はする。
この偽善の意識はなんとも厄介なものだ。
他人にとってはどうでもいいことかもしれないが、自分にとっては重く心の重圧になっていた。
価値観の違いといわれればそれまでだが、心の重圧というものは、客観的なものではなく、きわめて主観的なものなのだから、価値観の違う他者にそれをいくら説明をしても理解されないだろう。
だから、私は思い悩む。
相談しても、そんなことで悩むなんてと鼻で笑われるのがオチだ。
それが、さらに悩みを深めていくものだ。
たかが、そんなことで。
そう、人は、他人にとって、たかがそんなことで思い悩む。
そして、自分にとって重要なことが、他人にとって価値がないことでさらに自分自身の価値が貶められるわけだ。
それが積み重なり、最悪自らの命を絶つことすらあるわけだ。
幸い、今の自分にとってそこまでひどいわけではないし、悩み事はある程度受け流す方法を知っているからそこまではいかないだろう。
ただ、そうした偽善の意識はじわりじわりとのしかかり、時には心を折っていく。
なんとも厄介なものだ。
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