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マグニチュードπ
 悪意なき行動の悪循環



 

マグニチュードπ 悪意なき行動の悪循環


★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★

★★★ここから★★★
126-1  老人ホームの職員が避難していないか確認に来た人が何人も来た。 #MAGNITUDE_P

126-2 老人ホームの職員が来たという話は聞いていない。もちろん、一人一人チェックしたわけではないが。 #MAGNITUDE_P

127-1 不確実な情報だから信頼性は薄いが、噂では、老人ホームにいた高齢者は小学校の体育館に避難したらしい。でも、それは口にしたくない情報だ。 #MAGNITUDE_P

127-2 津波が2階のベランダまで押し寄せた小学校の体育館に避難していたということ。心が締め付けられる。 #MAGNITUDE_P

128-1 体育館に避難していた、余り動けない足の悪い高齢者の多くが犠牲になったらしいと話を聞き、背筋が凍りついた。 #MAGNITUDE_P

128-2 後で聞いた話だが、老人ホームの方々は、避難所に移動したらしいが渋滞に巻き込まれてしまい津波に飲まれたらしい。 #MAGNITUDE_P

128-3 これも噂だが、老人ホームの職員の方は、避難などの仕事の後、老人ホームの屋根の上に避難して、自衛隊に救助されたらしい。 #MAGNITUDE_P

128-4 渋滞といえば、渋滞というのはとても悔やまれる。野蒜海岸から車で避難するコースは3つ。野蒜小学校の脇を通るコース、東名の陸橋を超えるコース、吉田川の土手沿いのコースだ。 #MAGNITUDE_P

128-6 大地震の後、橋がずれてしまえば、通行止めにするのは間違いではない。渡っている途中で橋が崩れてしまう可能性だってあるからだ。 #MAGNITUDE_P


128-7 実際、通れなかったのかといえば、そうでもない。実際、何台かの車はその陸橋を通って避難しているからだ。 #MAGNITUDE_P

128-8 東名の陸橋のコースも、津波から安全かといえばそうでもない。陸橋を渡った後、それなりの距離の道路が海岸線沿いだということもある。もちろん、山側にずれる道を選ぶ方法もあるといえばあるけれども。 #MAGNITUDE_P

128-9-1 吉田川の土手沿いのコースも怖いといえば怖い。実際、海とつながる河口があり、それにそった道なのだ。大津波警報の中、土手沿いに車を走らせるという選択肢はとりたくないのは当然だ。 #MAGNITUDE_P

128-9-2 3つのコースのうち、川にも海岸にも接していない野蒜小学校のコースで避難するのは賢明な判断といえるが、一気に車が集中してしまえば渋滞するのは必然だ。噂レベルの情報だが、大津波の中30分ぐらい道で立ち往生していたとも聞く。 #MAGNITUDE_P

128-9-3 さらに、高台に避難するわけで、高台に行けた車は路上に駐車するのはあたりまえといえば、当たり前だが、さらに車が来れば渋滞していったわけだ。 #MAGNITUDE_P

128-9-4 悪意なき行動の悪循環が渋滞を招き、渋滞の列が大津波を襲った。その大津波は、野蒜駅前にある東名運河の運河沿いにある松の上から、さらなる津波ができたという高さだったという。 #MAGNITUDE_P
★★★ここまで★★★


 
 東日本大震災による津波は、なんとも、規格外だった。
 1000年に1度の津波なのだからそのスケールの大きさはなんとも、今でも信じられないというのが、本音だ。
 そんな中、家などの建物や動かせない物の被害はやむを得ないが、多くの人命が失われたというのは、なんとも切ない話だ。
 なぜなら、話を聞けば聞くほど、ちょっとした差で、命運がわかれていたからだ。
 事前の準備やマニュアル通りに行動して助からなかった人もいれば、ルールを無視したがゆえに助かった人もいる。
 本当に幸運が重なって助かった人もいれば、不運が重なって助からなかった人もいる。

 とくに、渋滞がなければもっと助かった人は多いはずだった。

 車で渋滞に巻き込まれたということは、もし、渋滞がなければ、車で高台や内陸にすんなり避難できたはずだからだ。

 だけれども、渋滞はある意味必然だった。
 もともと、1000世帯ぐらいの地域なのだから、それほど大きな道路はない。
 もちろん、1000年に一度の津波など想定していないし、もし、一番大きな想定の津波だったとすれば、渋滞していた道路は、水につかったかもしれないがそれほどでもないわけで、渋滞すごかったねで終わっていたはずだった。

 なんにしろ、各自がそれぞれベストと思う行動をしたわけで、悪意があったわけではない。
 だけれども、悪意なき行動は、渋滞という悪循環が生まれ、その悪循環によって生じた渋滞の列に桁違いの津波が襲いかかり渋滞を津波で流したわけだ。
 その車が津波とともに山のふもとの小学校に押し寄せた。

 この悪意なき行動の悪循環を、こうして思い起こしてい考えてみるのは、結果論にすぎないのだろうが、これからまたあるかもしれない大地震と大津波への教訓とするべきなのだろう。

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