マグニチュードπ 喪失感とあきらめ
★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★
★★★ここから★★★
129-1-1 仕事中、大声で自分を呼ぶ声がする。声をする方を見ると、義理の姉と甥の姿が
見えた。 #MAGNITUDE_P
129-1-2 義姉の表情は明るかったが、体の方がつかれている感じだった。 #MAGNITUDE_P
129-2 なにはともあれ、義姉が甥とともに帰ってきた・・・よかった・・・
#MAGNITUDE_P
129-3 車が流されちゃった。みんな。という義姉の言葉。その口調が喪失感とあきらめを
含んいて、複雑な感情がこめられ、とても印象的だった。 #MAGNITUDE_P
129-4 義姉の話によると、父と兄は昨夜に石巻にいることがメールで確認できたという。
さまざまな不安はよぎるも、無事を信じることにする。 #MAGNITUDE_P
129-5 義姉は、甥の他にも、姪が無事であることとともに、昨夜まで父と兄も大丈夫であ
る情報を持ってきてくれた。心の重荷が少しだけ下ろせた。 #MAGNITUDE_P
129-6 母は入院中なので、おそらくは大丈夫だろうというか、信じるしかない。あとは姪
の安否だが、仙台の街中にいるはずで、そこまで津波はこないはずだ #MAGNITUDE_P
★★★ここまで★★★
津波で流される。
今となっては、それは当然のようにありえる出来事なのではあるのだが、3月11日以前には、どこか、フィクションめいたものとしてとらえられていた。
津波はさまざまなものを呑みこみ、さらっていった。
その中でも家や車は金銭的な価値以上に、精神的な支えになる。
だから、津波で押し流されていった、今まで積み重ねた財産は、喪失感とあきらめは、金銭的な価値以上に精神に苦痛を与えるものだ。
金銭的な価値を失う喪失感だけなら絶望することはない。
ただ、これまでの積み重ねてきた人生の蓄積が瓦礫になってしまった喪失感がより大きな精神的なショックを感じさせる。
もちろん、そのショックに打ちひしがれ続けていられないのが現実だ。
その現実を受け入れられなけれないかぎり、喪失感による絶望が心に苦痛を与え続ける。
その心の苦痛から抜け出すためには、ある種のあきらめが必要なのだと思う。
せめて、命が助かっただけでもありがたいと、失ったものへのこだわりを捨てることができれば、絶望感からすこしだけ抜け出すことができる。
失うことで、喪失感によって絶望し、あきらめるという形でのこだわりを捨てることによって、絶望からほんの少しだけ抜け出せるということで、なんとも一言では言い表せない複雑な心が現れる。
喪失感とあきらめ。これが、被災地の人の多くが経験したことであり、その度合いの差が、精神的な格差につながるのであろうとは思う。
ともあれ、義姉と甥が帰ってきたことにより、震災当時、別々の場所にいた家族が、かんぽの宿にいた義姉と甥が帰ってきた。
そして、父と兄が震災直後、どこにいたかもわかった。これは、折れていた心を支えるのに十分な情報だった。
それにしても、衝撃だったのは、そのあとの義姉のかんぽの宿での体験談だった。
そう、かんぽの宿といえば、海辺にあったのだから、津波が直撃した場所でもあるのだ。
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