マグニチュードπ 津波からの生還
★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★
★★★ここから★★★
129-7 義姉の震災から今までの壮絶な内容になんとも言葉が出ない。 #MAGNITUDE_P
129-8 震災当日、甥の卒業式で義姉は甥と謝恩会に出ていたという。 #MAGNITUDE_P
129-9-1 謝恩会の会場は、海岸の近くのかんぽの宿だ。 #MAGNITUDE_P
129-9-2-1 謝恩会で、最後で、ビデオを公開するのにてまどっていたところに地震がきたという。 #MAGNITUDE_P
129-9-2-2 地震の後、大津波警報があったので、かんぽの宿の3階に避難した。しかし、水かさがどんどん増えるので、上に避難して、最後は屋上だったという。 #MAGNITUDE_P
129-9-3 屋上で義姉が目にしたのは、陸だったはずの場所が津波で海に沈み、海になった風景に、海からくる津波。義姉は死を覚悟しつつ、甥をしっかりつかんだという。 #MAGNITUDE_P
129-9-4-1 始めに車が流されていく。 #MAGNITUDE_P
129-9-4-2 かんぽの宿の駐車場あたりは津波の渦が巻き次々ありえないものがながれていく。 #MAGNITUDE_P
129-9-4-3 家らしきものも流れていく。ありえない非日常は想像を絶する。 #MAGNITUDE_P
129-9-5 さまざまな悲鳴が聞こえても何も、大津波の中でどうしようもなかったという。 #MAGNITUDE_P
129-9-6 なんとか、大津波の中、助かったが、かんぽの宿はまさに孤島の状態なので水がひくまで移動手段もなかったそうだ。 #MAGNITUDE_P
129-9-7 一夜を明かした後、ある程度水が引いた後、義姉たちは意を決して、ここに帰ることを決めたそうだ。 #MAGNITUDE_P
129-9-8 その帰路も、周りを見ることすらできなかったという。それはそうだ。変わり果てた野蒜の上に何人もの人が津波に飲み込まれたのだから・・・。 #MAGNITUDE_P
129-9-9 実際、ちょっと周りに目をやれば、視界に死体が入ってくるのだから。 #MAGNITUDE_P
★★★ここまで★★★
震災当日、義姉と甥は、かんぽの宿 松島にいた。
かんぽの宿 松島は、
http://www.kanponoyado.japanpost.jp/yado/matsushima/access.php
このサイトの地図にあるとおり、まさに津波が直撃したところだ。
歩いて、松林をぬければ、野蒜海岸があり、3分もかからない。
義姉と甥は、そこで卒業式後の謝恩会が行われていた。
義姉の話では、謝恩会は、先生のビデオの公開が手間取り、予定よりも遅れていたという。
ビデオの公開が手間取っている間に地震が来たそうだ。
長い揺れの後、大津波警報が来たという。
大地震の上に大津波警報となればみながパニックになるところだが、かんぽの宿の職員は、かんぽの宿にいる人たちを先頭にたって、誘導もあり、避難はすみやかに行われたそうだ。
第一波が来るも、次にはもっと大きな津波がくるという情報がはいったらしく屋上へ飛散した。
外は、信じられない光景がひろがっていた。
駐車場だったはずの場所は渦が巻き、車が流れていった。
さまざまなものが流されていた中で、家の屋根らしきものが移動していたそうだ。
陸地だったはずの場所は、海の真ん中のように津波に沈んでいたそうだ。
そして、津波がかんぽの宿を襲い、屋上の柵にしがみつき、死を覚悟したという。
津波こそ屋上を超えることはなかったが、水しぶきが避難している人にかかったそうだ。
かろうじて大津波を乗り切ったあと、宿泊施設であるかんぽの宿に使える毛布をかき集め一夜を過ごすことにするが部屋数が足りず廊下でうずくまって一夜を過ごす人も出たらしい。
余震が続く中での一夜を明かし、途方にくれていたところで、かんぽの宿に避難している子供の父親がかんぽの宿にきた。
義姉がどこからどうやってきたかを聞くと、道なき道を心配する家族に会いたい一心できたという。もちろん、これから帰ると言われた時、義姉は甥と、一緒に帰る決断をした。
その時、校長先生が、大きな声では言えないが、野蒜は壊滅状態で、帰るといっても危険だということを言われたが、義姉の決断がゆるぐことはなかった。
義姉はなるべく周りを見ずに進むことにした。
ちょっと視線をずらせば、死体が目に入るかもしれないからだ。
そうして、義姉と甥は帰ってきた。
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