マグニチュードπ 洗い流された不安
★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★
★★★★
160 震災以来、断水と停電のせい風呂に入れていない。で父と行きつけの温泉に行ってみることにする。 #MAGNITUDE_P
161 いざ行くことになると、ふと、どのくらいはいっていなかったかを思い出すと、1週間ぶりの風呂だということを思い出す。そういえば、足が臭かった。 #MAGNITUDE_P
162 野蒜は電気が通っていなかったが、松島にはいると街灯がついていた。ここまで通電したのだ。もうすこしで、自分のところに通電するだろうという見通しはついたが、半分嫉妬した。 #MAGNITUDE_P
163 ラジオでは、石巻の一部でも通電したという情報があった。そして、松島でも通電している。 #MAGNITUDE_P
164 野蒜を囲むように、野蒜が終着点のように通電するのは、なんとも、田舎を最後に回すんですねとねたみも頭をよぎる。 #MAGNITUDE_P
165 もちろん、冷静に、合理的に考えればそんなことはない。
病院などの優先順位や立地条件を思い出せば、別段意図的に後回しにするわけでもない。単純に、野蒜はそうした、優先順位の線で囲めば、ちょうど中間地点にあるという話だ。 #MAGNITUDE_P
166-1 温泉は避難所にもなっていた。一般営業はしていなかったが、避難している人の為に風呂を沸かしているので、特別に入れてもらうことになった。 #MAGNITUDE_P
166-2 それにしても1週間ぶりの風呂は心が洗われるし、折れた心もなんとなく癒される。風呂というのは何ともいいものだ。そう痛感した。 #MAGNITUDE_P
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電気が使えるということが当たり前だったが、1週間近く続く停電で、電気が使えることがいかに有難いことなのかが痛感したし、これまでの生活に電気が通電していることに依存していることをいやというほどしらされた。
電気は明りだけではなく、いわゆる家電はその名の通り電気がなければ使えない。いたかったのは、石油ファンヒータをはじめとした暖房器具を制御する装置は電気がなければうごかないので、灯油があっても動かないわけだ。
電気が無いと夜は明りが無いので、やることはない。すぐ寝るだけだったが、そのころは、暖房もなく、寒さを凌ぐのは一苦労だった。
とはいえ、布団や毛布を重ねて少し厚着で布団に入って何とか寒さをしのいだ。
そんな状態なので、当然、風呂に入れるわけがない。
さすがに、体のいたるところが痒くなってきていたところに父が、そろそろ、温泉をやっているんではないかと言い始め、それについていくことになったわけだ。
そこに行くまでの道のりで、アスファルトで舗装されているはずの道は、われていたり盛り上がっていたり、穴があいたりでひどいもので、車を上下させながら、進んだのだが、松島に入ったとたん街灯に明りがともっていたのは何ともうらやましかった。
もちろん、そうなるのは田舎を軽視しているわけではなく、津波被害の有無をふくめて、官庁の施設や病院などの点を結べば、至極合理的な回復の順番だった。
とはいいつつも、それは冷静に考えればという話だし、理性で納得できれば、感情が治まるというものでもない。
父が通っているところだっただけに、いろいろ特別に風呂に入れてもらえたのは助かった。
当時は、風呂を沸かすにしても、石油が不足していたのだから営業をするわけにもいかないということで、避難していた人だけが入れる分だけわかしていたというのだ。
温泉のあった場所は、地盤がしっかりしていたのか、他の場所と比較すれば、それほど大きく揺れなかったそうだ。
もちろん、あくまで比較的ということだが・・・。
ともあれ、さっぱりして、気持ちが晴れた。すると、不思議と不安という心の汚れも洗い流されたようだった。
風呂というのはなんとも不思議な精神的な癒しと言えたのかもしれない。
もっとも、その帰り道に心が折れることになるわけだが、温泉で心が回復していたからマシだったのかもしれない。
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