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マグニチュードπ 津波で爆ぜた故郷



 

マグニチュードπ 津波で爆ぜた故郷


★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★

★★★ここから★★★

167-1-1 温泉の帰り道、東名と亀岡を見てみようと父が言う。正直嫌だった。だから、反対する。 #MAGNITUDE_P

167-1-2 東名と亀岡は津波被害がひどいところだが、震災前は日常に通っていた風景だ。それを直接見る心の準備はできていない。 #MAGNITUDE_P

167-1-3 実際、震災前の前夜に息子のサッカーの練習で通った道だ。それが破壊されている様を見るまで、心は回復していない。 #MAGNITUDE_P


167-1-4 だから、いくことに反対するが、押し切られた。途中で降りてでも帰ればばよかったと後悔する。 #MAGNITUDE_P

167-2 東名の陸橋は盛り上がり、大きな段差があった。いまにして思えばそれが、津波の被災地の現場という異世界への門だったのだろう。 #MAGNITUDE_P

168 自衛隊の車が路上駐車していた。昼間は、がれきの撤去作業なのだろう。 #MAGNITUDE_P

169 陸橋を降りると、左手に東名にある病院があるはずの場所に病院の建物がどれかわからない状態だった。 #MAGNITUDE_P


170 右手には東名運河があり、さまざまな瓦礫が運河の底から顔をだしていた。 #MAGNITUDE_P

171 東名運河は、野蒜港を築港するときに大活躍した運河だ。 #MAGNITUDE_P

172 左手に目をやると、住宅地のはずだが爆ぜた津波にさまざまなものが流されていた。 #MAGNITUDE_P

173-1 無情に車は進み風景が流れる。記憶の風景と目の当たりにしている現実の風景のあまりの違いに涙が出てくる。 #MAGNITUDE_P


173-2  ここは、自分がほんの2週前に車を走らせていたところだったのだろうか? 記憶が夢ではないかという錯覚すら覚えてしまう。 #MAGNITUDE_P

174-1 今、走らせている道は、子供のころ自転車をこいで走らせていた道でもある。 #MAGNITUDE_P

174-2 子供のころの風景が、工事や建築などで変わることはよくあることだ。だから、風景が変わるにしても、子供のころの記憶と照らし合わせれば、パズルのようにつなげられることができる #MAGNITUDE_P

174-3 だから、開発や衰退による子供のころとは風景は違っていても、うけいれられるが、今、目の当たりにしている風景は、過去の自分の記憶とつながらない。この壊滅状態はどうしても受け入れられない。心も爆ぜた。 #MAGNITUDE_P

175 東名運河の真ん中に家が丸々一軒たっていた。土台ごと流されたということだろうか?なんとも受け入れがたい風景だった。 #MAGNITUDE_P

176 小学校に向かう前に一軒の店があったはずだ。だが、それはあとかたもなかった。自分が知らない街に来たという錯覚に陥る。 #MAGNITUDE_P

177 あるはずの家々、あるはずの踏切が全くない。あるのは、瓦礫の先にある小学校だけだった。 #MAGNITUDE_P

178 父が昔、自分に勧めていた物件も津波に流されていた。もし、その物件を買っていたら、自分の家族は生きていただろうか? なんとも、ちょっとした選択の差が生死を分けるのだと痛感する。 #MAGNITUDE_P

179 とにもかくにも風景が違う。記憶の風景と記憶の地図でどこがどこかかろうじて予測できるが、自信が持てずに迷っているのではないかという錯覚に陥る。 #MAGNITUDE_P 

180 故郷の変貌ぶりに、絶望と失望、喪失感を胸に抱え、空虚が心をむしばんだ。 #MAGNITUDE_P


★★★ここまで★★★


 
  この夜の日のことは、思いだすだけで、心が空虚になる。


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