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マグニチュードπ 被災地への応援歌



 

マグニチュードπ 再会でよみがえる希望


★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★

★★★ここから★★★

181-1 震災ではじまった停電と断水、いつまでライフラインが断たれた生活が続くのだろうか? #MAGNITUDE_P

181-2 ため息をついたそのとき、ハウスから轟音。何かと思えば暖房器動いている音。ハウスの暖房器は電気がなければごかない。電気が通電したことがわかった瞬間だった。 #MAGNITUDE_P

182 電気が通電した。それが分かった時、さまざまなことができるようになると希望がわき出る  #MAGNITUDE_P

183 ひさびさに、テレビをみた。学生のころから好きで、震災前にもカラオケボックスで熱唱する爆風スランプのボーカル、サンプラザ中野さんが、被災地に向けてTOMOSHIBI〜地震がきたら〜を作詞作曲してくれていたことを知る。その気持ち。うれしかった。 #MAGNITUDE_P

184 息子と一緒にテレビを見ていたが、サンプラザ中野さんの気持ちを受け取り、息子の前なのに涙がでてしまった。 #MAGNITUDE_P

185-1 テレビをみていると、震災前とちがうことにきがつく。CMがすべてACのもので、被災地を励ますものだった。 #MAGNITUDE_P


185-2 気持ちは嬉しいものの、余り繰り返されすぎると、ちょっと嫌味にも聞こえてくるのは僻み根性だろうか。 #MAGNITUDE_P


★★★ここまで★★★


 
   震災から断水と停電が続いた。
 震災前の常識なら、3日もあれば、ライフラインは回復するから3日分の水と食料を用意しておけばなんとかなる。
 これが、震災前の防災の常識だった。
 たしかに、震災の津波被害がすくないところはそのくらいだったように思えるし、私の住む地域以外はかなり早い段階で通電した。
 しかし、今回の災害で、電気が回復するまで1週間以上かかった。
 さらに、私の住む地域では、この復旧は早い方だったし、ちょっと離れたところでは、1カ月以上たっても通電しなかった地域もあった。
 現在の日本の普通の暮らしは電気があるということが大前提だった。
 だから、電気がなければ、照明も暖房も使えない。
 
 それだけに、電気というライフラインは、重要だというのは痛感した反面、

逆に電気に依存し過ぎている現代社会にある種の危機感も感じた。
 本当の防災というのは電気に依存するだけでなく、他のエネルギーもバランス良く利用することであるようには思えた。

 ともあれ、電気が無ければ動かないはずのボイラーが、思いがけず動いたことに気がついた時は、正直、幻聴か幻覚だと自分を疑った。
 ああ、ついに、現実と幻の区別がつかなくなったのではないか、そうとすら思えたのだ。
 だが、目で見て、ボイラーの轟音を聞き、温風を肌で感じ、電源が入っていることを示すランプを見た時、やっと電気が通電したことを確信できた。
 停電が終わり、通電したことは、被災してからの失望感から解放されたように思えた。
 なんというか、だいぶ文明的な生活ができているように感じられた。

 その象徴が照明であり夜の時間も生活できるし、テレビも見れるし、パソコンも扱えるということだ。
 電子レンジも使えるし、冷蔵庫も使える。
 できることが増える。

 当時は、水道はまだ復旧してはいなかったけれど、電気があるだけで、だいぶ復旧したように思えたし、ずっと方にのしかかっていた不安がだいぶ軽くなる。

 そして、テレビをつけてみると、震災から10日たった状態でも被災地が全国から応援されていることがわかった。
 もちろん、支援物資などでさまざまな応援してもらえているのはしっていたが、なんというか、こんな風に応援されているとは思ってもみなかったのだ。

 それまで被災の現場にいて、社会がどのように被災地を見ていたのかが分からないでいたが、想像以上に多くの人が応援というか励ましてくれていることがわかった。
 ただ、通電するまでその励ましの声が届かなかったタイムラグが、必要以上に失望していたこと、そして、自分が日本中が大震災に被災していたような錯覚に陥っていたことに気がつく。
 なんとも、震災とほぼ同時に停電し、被災地のラジオの報道といえば、原発事故や震災の情報ばかりだからどうにもそのように錯覚していたのだ。
 
 学生のころから好きなで、爆風スランプのボーカル、サンプラザ中野氏が、被災地に向けてTOMOSHIBI〜地震がきたら〜を作詞作曲してくれていた。 正直、曲も歌詞も頭に入る前に、歌声が気持ちとして伝わってきた。
 その気持ち。
 うれしかった。
 何度もあきらめかけ、実際、心が折れて立ち止まっていた空っぽになりかけていた気持ちのエネルギーが、この応援歌によって満たされた。
 そのとき一緒に息子とみていたのだが、サンプラザ中野氏の気持ちを受け取り、息子の前なのに涙がでてしまった。
 息子は心配そうに私を見て、「だいじょうぶ?」と聞いてきた。
 私は無言でうなづいたら、息子なりになにかを納得してくれたようだ。

 震災当初の報道がどういったものなのか、停電していることから、正直わからなかかったが、テレビをみていると、震災前とちがうことにきがつく。
 CMがすべてACのもので、被災地を励ますものだった。
 気持ちは嬉しいものの、余り繰り返されすぎると、ちょっと嫌味にも聞こえてくるのは僻み根性だろうか。
 
 ともあれ、被災地への応援歌を始め、日本中の多くの人が、被災地を応援してくれている事実を知り、心のエネルギーの補給ができた。


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