マグニチュードπ 友人の訪問
★★★ツイッターに呟いた、マグニチュードπ★★★
★★★ここから★★★
229-1 2011年3月27日 9:00ぐらい。高校時代からの友人のAが、訪問してくれた。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
229-2 お互い、安否は携帯電話でとぎれとぎれの会話の中で確認できていたが、やはり、実際に会えるのはうれしいものだ。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
230 被災者みたいな恰好しているなという率直な言葉は、友人が相変わらずだということが確認できる。震災前の日常に触れるのはなんとも心がやすまるものだ。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
231 友人にいわれてふと、そういえば、服装のことなどまるで気にしていなかったなと思いだす。まぁ、どうせ汚れるし、汚れても水道が通るまで洗えないから別にいいやとも思っていたのだから当然だ。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
232 友人Aは、いろいろな食糧を持ってきてくれた。震災以来、手にすることができないような食材がたくさんあった。ありがとうという言葉を連発するほか感謝の言葉がでない。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
233 塩釜では震災が2週間以上たって、徐々に街の機能も回復していたし、だいぶ被害の後も片付けられたという。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
234 水道も回復していたそうなので、大量の水ももらえた・・・友のありがたみを痛感したし、この気持ちをどう恩返ししようか必死に考えたが、今は何もできないことに歯がゆさを感じた。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
235 塩釜も津波はひどかったというが、友人の家は高台にあったから津波の被害はなかったという。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
236 友人は地震の時に自宅にいたものの、大津波警報の中、友人の妹を助けに言ったそうだ。大丈夫だったのか? と聞くが、津波から間一髪で逃げられたという。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
237 友人が津波に逃げられたのは、土地勘があったからだろう。実際、話を聞くと、道の選び方が悪ければ今ここで会えなかったかもしれない。 #MAGNITUDE_P #東日本大震災
238 友人と今までのことを話していると、食糧を分別していた妻と義姉が口々にありがとうといいながら、義姉が泣きだした。気の強い義姉もうれしくてなきだしたのだという #MAGNITUDE_P #東日本大震災
★★★ここまで★★★
2011年3月27日、東日本大震災があったのが、3月11日だったから、半月ぐらい震災後の生活が、なんとなく普通になったあたりで、高校時代からの友人が、訪問してくれた。
お互い、無事は確認できていたが、なんというか、安否確認も、携帯電話でとぎれとぎれだったこともあり、リアリティーがない安否確認だっただけに、実際に会えるのは、なんというかほっとする。
その友人の第一声が、「被災者みたいな恰好しているな」という、なんとも友人らしい言葉にふと、震災前を思い出す。
そして、服装のことなどまるできにしていなかったことにも気がつかされる。
だいたい当時は、水道は止まったままで水は貴重だった。
ときおり、給水車で水はとどけてもらっていたが、半月もの時間水道がなければ、なんとも、水道の蛇口をひねれば水がでるということがどれだけ貴重なことか痛感する。
ともあれ、それだけに、洗濯するという考え自体、忘れていたということを思い出した。
友人は、いろいろな食糧を持ってきてくれた。
震災以来、手にすることができないような食材がたくさんあった。ありがとうという言葉を連発するほか感謝の言葉がでなかった。
ほんと、感謝しているし、今でも感謝している。
ところで、友人の住む塩釜では震災が2週間以上たって、徐々に街の機能も回復していたし、だいぶ被害の後も片付けられたそうだ。
ちなみに、野蒜はぜんぜん手つかずの状態。
塩釜では、水道も回復していたそうなので、大量の水ももらえたのは、たすかった。友のありがたみを痛感した。
安否確認はできていたし、友人の家は高台にあったから津波の被害はすくないであろうとおもっていはいたが、震災当時はちょっと間違えば、津波に巻き込まれたかもしれないと言う。
友人は地震の時に自宅にいたものの、大津波警報の中、友人の妹を助けに言ったそうだ。
なんとも、無謀の一言だが、さすが、地元だけに、土地勘があり、地の利をいかして、津波から間一髪で逃げられたそうだ。
実際、話を聞く限り、道の選び方が悪ければ今ここで会えなかったかもしれないとおもうと、ぞっとする。
正直、自分だって同じだ。
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