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相対ゴブリン 05

 哲学モンスター・・・なんとも荒唐無稽な話だと思う。
 自分だけなら確信できることだが、他の人の説明となると、色一つとっ
ても同じ色をみても、同じように見えているとも感じているともいえなく
なることを知っていると、どんな言葉を駆使しても、自分の中にあるイメー
ジは伝えきれないと痛感する。
 とにもかくにもカオリさんとめぐたんには説明せざるを得ないし、別に、
相対ゴブリンもバラの赤さの質感の説明も本質的には同じことだ。
 ともあれ、哲学モンスターは退治できる。
 それは、僕にとりついた哲学モンスターたちを花屋さんは退治してくれ
たからだ。
 なんでも、哲学は一種の方法論で、それが暴走するからモンスターが現
れるってことだから、逆に、制御していくように促せば、哲学モンスター
は退治できるという理屈みたい。
 それでも、僕が花屋さんから初めて哲学モンスターの話を聞いた時、最
初は、哲学がモンスターになるなんて、荒唐無稽だと思えた。
 でも、僕は、哲学モンスターを見た。
 余りにも一瞬で、間違いないかと確認されると、証明はできないけれど、
不思議とそれが、哲学モンスターであるという確信は持てる。
 よし、考えがまとまった。
「えっと、哲学というのは、一種の方法論なんだ」
「真理とかを見つけ出すということ?」
《おおそういえば、シンリという漢字は、マリとおなじじゃないか!》
 いや、それはそうだけど脱線だよ。めぐたん・・・。
「そういえばそうね。
 でも、それと相対ゴブリンはどんな関係があるの?」
 さすがカオリさん。めぐたんの脱線をうまく補正してくれる。
「その前に、方法論っていうのは・・・その、善悪はないんだ」
「それはつまり、哲学は使い方によって良くも悪くもなるってことね」
 さすがカオリさん。僕はすかさずうなづいた。
 さて、ここからが説明が難しい。
 まさか、哲学の使い方がわるいと、哲学モンスターに取りつかれるだな
んていっても頭がおかしくなったと思われるだろうし。
 だいたい、哲学モンスターがみえないのが悪い。
 目に見えないのだから信じられないし、妖怪とか霊の話を同じかと思っ
ていた。
 でも、花屋さんは言う。
 目に見えなくても確信しているものはたくさんあると。
 たとえば、科学。理論、論理、数学。
 人の心や愛。
 これらは、みんな影も形もないけれど、多くの人があると確信するもの
だと・・・。
 まぁ、たしかに、言われてみればそうだけど、それと哲学モンスターを
同列に扱うのはどうかと思うこともある。
 特に、心はこうして僕が考えているという事実があるからだ。
 でも、その心は手で触れることもできないし、科学的に心がどこにある
のかも証明されていない。
 心の座は、昔は胸や腹にあると思われていたけれど、現代では脳にあ
るとおもわれている。
 でも、脳医学者が脳を解剖して心を発見したという話は聞いたことがな
い。
 脳科学者は考えるときに脳が反応しているからということで説明するが、
それを言ってしまえば、胸も腹も、心の状態が反応する。
 わくわくすれば、胸はドキドキするし、緊張すれば腹も痛くなる。
 もちろん、脳にも、胸にも、腹にも心がみつかったことがない。
 でも、僕はこうして心を感じ、確信している。
 たぶん、カオリさんもめぐたんも、そして他のみんなもそうであると思
う。

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