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相対ゴブリン 07

 プロタゴラス・・・。
 古代ギリシアの哲学者で、アテネ中心に活躍したソフィストと呼ばれる
の第一人者といっていいだろう。
 プロタゴラスの言葉で有名なのは、「万物の尺度は人間である」という
ところだろう。
 いわゆる、相対主義というものを確立した哲学者だといっていいだろう。
 相対主義とは、経験など人の物の見方が、複数の要素や見方と相対的関
係にあるという考え方だ。
 これは、人間の認識というものは、常識や知識など日常で得られる経験
から、他者と共有する認識の姓で、他人の考えや行動を自分の経験におい
てしか理解できないということに重点をおいたイデオロギーだと言ってい
いだろう。
 元も子もない言い方をすれば、「絶対的な真理なんてない。なぜなら、
一人一人の価値観によってのみ判断されるのだから」ということで、それ
がすなわち、「万物の尺度は人間である」という言葉につながるわだ。
《ふろたこらうす・・・
 タコがお風呂にはいったらゆでダコになるのだ!》
 僕は心の中で思い切りずっこけた。
 もちろん、カオリさんの部屋で実際にずっこけることなど出来るわけも
ないし、そもそも、どこであろうと、実際にずっこけるなんてことはまず
ないだろう。
 ともあれ、めぐたんのこの判断すら、相対主義においては一つの正しさ
として認めてしまえというイデオロギーだということだ。
「プロタゴラスがどうしたの?」
 さすがカオリさん。いつもは、めぐたんのボケを拾うが、さすがに何が
重要かの判断は適切だ。
「その・・・知識の正しさとかじゃなくて、知識の使い方が間違ってしま
うってことで・・・」
 我ながらなさけない。
 自分の思いの中では、これだけすらすらと語れるのに、他者への表現と
なると、どうも言葉がつまる。
「私はプロタゴラスの相対主義を正しく知っていたとしても、その相対主
義を正しく使えるとは限らないということね」
 僕はすかさずうなづいた。さすがカオリさん。
 そう。
 特に、相対主義の破壊力というのは確かに凄まじくて、女子高生でもい
い大人を簡単に論破できる。
 なぜなら、絶対的な真理というものは、ありそうでないからだ。
 いや、厳密にいえば、あると確信はできても、その確信を証明すること
はできないと言った方がいいだろう。
 つまり、「あなたは間違ってる」とはいえても「私は正しい」とは言え
ないんということだ。
 なぜなら、正しいと判断する価値観は人それぞれだから、正しいという
価値の共有が、全員一致ということにはならないからだ。
 こうなると、各自の正しさを許容してしまうと、絶対的な正しさという
のはなくなってしまう。
 つまり、「正しいものなんてない」という結論になるわけだ。
 「正しいものなんてない」という主張は、論争するときは無敵になる。
 無敵状態になると、なんでもありになり、この無敵な状態によって、哲
学モンスターが生み出されるというのが、花屋さんの考え方で、僕なりに
納得ができた。
 哲学モンスターが生み出される条件は、論理的には無矛盾ではあるが、
非現実的で無意味なことだと花屋さんは言う。
 僕は、なんとなく、花屋さんの言うことは理解できた。
 一言でこれを説明するならば、詭弁だということ。
 詭弁とは、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法だ。
 虚偽の論法であっても、論理的に無矛盾にすることは可能だということ
だ。
 つまり、「正しいものなんてない」言葉の上での天下無敵だが、実際に
はあまり役に立たないし、無意味なのだ。
 そもそも、「正しいものなんてない」というのは、相手が反論してきた
ときに押し返す護身術としては役立つけれども、そもそも「正しいものな
んてない」のだから、自分が主張しても、それもまた「正しいものなんて
ない」ということになるのだ。
 そして、カオリさんは、今の自分のストレスに耐えかねて、相対主義に
よって自己の正当化をし続けてきたのだろう。
 これを、どうやって、カオリさんに伝えるのかがとても難しいと僕は思
う。

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