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呟き尾形の哲学講座
第34回 アリストテレス 幸福論2 正義とは何か?

 

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ》
【こんにちわ。なぜかここにいるフォルスですよぉ】
「今回は、名誉と正義を追求するとなんで幸福なのか? だったよね?」
『名誉というのは、価値があると言うのがみんなに認められることです』
《偉いってことなのか?(= ̄∇ ̄=)》
『ま、まぁ、多少ちがいますが、そんなところです』
【ちなみに、人間には五欲というのがありまして、睡眠欲、食欲、性欲、
財欲、名誉欲とありますよぉ】
 ということは、幸せは満足することだから、欲求を満たした状態で、
その中でもみんなに認められたいという名誉欲が政治の中にある。
 ってことだね、シニョール呟き尾形。
『はい。そのとおりです。なぜなら、誰もが価値あるものとして認める
もの。それが正義だからです』
「でも、正義というのは、たくさんある。って聞いたことがあるよ」
【そうですねぇ。正義は視点を変えれば無数にありますからねぇ。
 たとえば、仕事で部下が私の指示を勘違いして、まちがった作業
をしてしまいますが、その時、勘違いした部下をしかりつけるのは安易
なことで、なぜ部下は私の指示を勘違いしたのかを考えることも必要だ
と思うわけですねぇ。
 言葉の定義を明確にしなかったのだから自分の指示を勘違いするのは
仕方がない。と考えることも必要ですからねぇ。
 このような例の時、すでにこのとき、自分の主張に正当性がある、つ
まり正義がある。とするか、部下の主張に正当性がある、つまり、正義
があるかは、個々の立場によって変化してきますからねぇ。
 でも、それはどちらを正当化しようとも、実はどうでもよいことで、
本当に大切なことは、目の前にある問題を解決すること、つまり、失敗
のフォローをすることに正義があるわけです】
《たとえ話が正義らしくないのだぁ(○`ε´○)ぶーっ》
【はは、正義などと聞くと、なんだか争いごとを連想してしまいがちで
すものねぇ。皮肉なものです】
「たしかに、正義という言葉が使われるときは、結構、何かが対立して
いるときだし、何事もなければ、正義なんて言葉、いちいち使わないよ
ね」
《そういえば、そうなのだ》
【ともあれ、正義とは、人が守るべき正しい道義であり、人が人を守る
ための理屈だと考えられます。間違っても、各自の都合による表向きの
大義名分のことではありませんよぉ】
「よくわからないな。結局正義ってたくさんあるんじゃない?」
 ちがうのさ、ムーシコス君。正義にも目的があって、それぞれ正しさ
があるという事実の中にも、正義を正義たらしめる何かがあるってこと。
 だからこそ、正義は誰もが価値あるものとして認めるってわけさ。
《でも、めぐたんはめぐたんがいいな。ってことが、クニークルスがい
いなっておもうとは限らないのだ》
『そうなんです。
 だから、アリストテレスは個人の正義ではなく、正義とは誰にとって
も正しいことという本質を見失わないように、適法と均等の2つの意味
をもたせました』
「適法と均等?」
『それについては、ムーシコスも、めぐたんも混乱気味のようなので、
次回に持ち越すことにします』
 単なるシニョール呟き尾形の勉強不足だったりして(ー_☆)キラリン
『Σ( ̄□ ̄;スルドイ』
 まぁ、それについては、見逃して、次回はアリストテレスの適法と均等
について、ということで、それじゃ、アルデベルチ。
 

★★★

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