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呟き尾形の哲学講座
第36回 アリストテレス 幸福論4 観想的生活

 

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ》
【こんにちわ。なぜかここにいるフォルスですよぉ】
「今回は、観想的生活についてだね」
《乾燥ってな〜に〜(^○^)》
『乾いている乾燥じゃなくて、観て想う観想です!』
 観て想うのが何で幸福?
 そうそう、
 享楽的生活は、欲望の満足や快楽を追及すること。これはなんとなく分かる。
 政治的生活は、名誉と正義を追求すること。これも、みんなから認められるっ
ていみで確かに幸福だ。
 でも、観想的生活は、どうも分からない。
『まず、観想とは、特定の対象に深く心を集中することで、つまりは、じっくり
哲学していくことができるのは幸福だとアリストテレスは述べています。
 といいますのも、幸福は、”余暇(スコレー)”にあると考えられるとアリスト
テレスは述べています』
《たしかに、の〜んびりするのは、しあわせなのだ〜( ^‐^)_且~~》
 まぁ、たしかに、のんびりできると、心に余裕ができる。
【で、アリストテレスは、人の行い(行為)には全て目的がある。といってます
 ああ、たしかに、人は目的をもってるけど・・・。】
「幸福と何が関係があるか分からないね」
 そうそう。
【まぁ、まぁ、のんびり聞いてくださいなぁ〜。急ぎすぎるとせっかくの余暇が
逃げてしまいますよ〜】
《あ、たしかにそうなのだ》
【さて、AはBのために、BはCのために・・・とたどると最終的に行き着く目的を
アリストテレスは”最高善”と呼びましたよ〜】
『そうですね。
 人はみなエウダイモニアを求めているということになります。
 そして、人の行為は最終的にはみなエウダイモニアを目的としている事になり
ます。』
「エウダイモニアって何?」
【アリストテレスによると、エウダイモニアとは幸福のことですねぇ。
 で、”ものを考える力=知性・理性の働き”こそ、人を特徴づけているもので
すから、この働きを十分に発揮することこそ人間の最高のエウダイモニア、つま
り、幸福だと考えたわけですねぇ】
『このように人間の知性・理性を働かせて真理を求める生活を”観想(テオリア)
的生活”とし、ここに人間のエウダイモニアがあるとアリストテレスは述べまし
た』
「ちょっとまって、整理させて」
 え〜っと、つまり、 
 人の最終的な目的は幸福である。
 人の幸福とは余暇にある。
 ゆえに余暇のある生活は幸福である。
 観想的生活というのは、余暇をもって哲学をじっくりできる生活のこと。
 つまり、観想的な生活こそ一番の幸福な生活。
 ってことかな?
『まぁ、そんなところです。
 そして、その幸福というのは、持続した方が良いわけで、頭を使って研究を行う
生活の方がよいと述べています。なぜなら、研究生活は持続的に行うことができる
からです』
《でも、なんか、考えただけじゃおなかがいっぱいにならないのだ〜(>_<)》
【たしかに、そうですね。
 幸福には快楽がないとだめですものね。でも、めぐたん。
 満腹だけが幸福ではないのです。
 知らないことが分かったとき、疑問が解けたときの心地よさはありませんか?】
《(ー_☆)キラリン そうなのだ。
 なんだかわからないことが、分かったときは、
 ♪〜q(^-^q) q(^0^)p (p^-^)p~♪ 
 という気分になるのだ〜。
 でも、満腹だって、幸福だし、みんなに認めてもらうのも幸福のような気がする
のだ》
「そうだね。なんで、観想的生活が一番いいんだろう?」
 ということは、次回は、”なぜ、観想的生活が一番いいのか”についてだね。
 それじゃ、アルデベルチ。
 

 

★★★

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