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呟き尾形の哲学講座
第56回 ヘレニズム哲学 エピクロス まとめ

 

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/
 今回は、み〜んな、欠席なのだ〜。
 なんでも、み〜んな、ケガをして、安静が必要なんだそうなのだ
 というこわけで、今回は、な、なんと、めぐたんがこれまでのエ
ピクロスの話をまとめることになったのだ〜。
 えっと、まずは、エピクロスは、紀元前341年頃に生まれ、
紀元前270年まで生きているひとなのだ。
 それで、当時のギリシアの最前線基地だったサモス島にうまれ、
アテネで”エピクロスの園”を設立したそうなのだ。
 ”エピクロスの園”というのは、エピクロスが作った庭園ので、
エピクロスの園に、たくさんの弟子を集めて、哲学の勉強をしたそー
なのだ。
 そんでもって、エピクロスの理想というのが、快楽によって満た
された状態だったそうなのだ。
 快楽って聞くと、快くて、たのしいことだし、他にも、か、か、
かんのーてきな欲望に満足することにもつかわれる言葉だから、
なんだか、いろいろ違うことを思い浮かべてしまうけど、エピク
ロスが言った、快楽というのは、死んじゃうことや神様へが恐い
と思うことを、そーじゃなくしたり、痛くなくて、心が平静であ
ることを、快楽と呼んだそうなのだ。
 でも、やっぱり、いまの、一般的な意味での快楽みたいにきこ
えるのだ〜。
 むしろ、いわゆる欲望から連想されるイメージから正反対のも
のだといえるそーなのだ。
 エピクロスのいう快楽とは、そうした物理的、感覚的な快楽
じゃないそーなのだ。
 アタラクシアという魂の平安が目指されているそーなのだ。
 たしかに、お金があれば、なんでも手に入るから幸せだし、
 みんながほめてくれるとめぐたんはとって幸せだし、
 なにより、めぐたんがえらくなれば、それだけで幸せなの
だ( ̄ー+ ̄)
 でも、そーゆーことは、実際には簡単にできないことだし、
すぐになれちゃうことなのだ。
 それに、プリンの食べすぎるとおなかを壊すし、快楽ばっ
かりだと、プリンの美味しさになれちゃうしで、その後が
大変。後で、どこかが痛くなったり、病気をすることを引
き寄せる快楽は、良くないといいたいわけだな。
 エピクロスは。
 じゃぁ、エピクロスは、その類の快楽を自分でコントロー
ルできれば、いいんじゃないかと考えたみたいなのだ。
 そうじゃなければ、欲望や快楽の奴隷となっている状態
だと考えたそうなのだ。
 そして、アタラシアを得るためには、思慮深さ(フロ
ネーシス 理性)が必要になる、とエピクロスはいったそ
うなのだ。
 で、欲望や快楽の奴隷もならないためには、つつまし
い生活をすることだとエピクロスは考えたそーなのだ。
 なんだか、貧乏くさいと感じるし、なにより、ちょっ
とだけ満足できても、不満が残るとおもうでしょ。
 めぐたんもそーおもったのだ。
 でも、エピクロスは、少しの欲望を満たすことで大き
な快楽が得られるといったそうなのだ。
 え〜っと、つまり、エピクロスは、”苦”の無い状
態と、持続的な快楽こそ、幸福でなんだそうなのだ。
 だから、一時的な快楽は、それが終わってしまえば
同じかそれ以上の苦があるからだめなんだそうだ。
 で、持続的な快楽をえるための方法を、エピクロスは
大胆にも、飢えない、渇かない、寒くない。という三つ
だけでなんとかできるというのだ。
 信じられないことをいう。
 とめぐたんは思う。
 でも、
 少ない欲望だからこそ、幸福になれるそーなのだ。
 たとえば、粗食であっても、空腹であれば、とてもお
いしく食事ができ、満足できるそーなのだ。
 たとえば、酒で無くとも、湧き水などで、のどの渇き
は癒され、満足できるそーなのだ。
 たとえば、暖かくなくとも、凍えなければいいと考
えれば、暖房は必要は無いそーなのだ。
 めぐたんは、未だにわからないのだけれども、エピ
クロスはそんなふうにいうのだ。
 とにかく、飢えない、渇かない、寒くないというこ
とさえ満たされれば、幸福だと考えよー。
 なんだそーなのだ。
 なんだか、味気ないけど、プリンの食べすぎで懲り
ためぐたんは、ちょっぴりわからないでもないのだ。
 いくら大きな欲望を満たしても、どうしても、最後
には残念な気持ちになったり、不安な気持ちになって
しまうのだ。
 次に同じくらいたべても、最初の満足より小さいよ
うな気がするし・・・。
 結局、それが欲望が大きくなりすぎたときの悪い面
なんだそうなのだ。
 で、エピクロスは、そんな、心配事を解消する考え
方として四種の薬を紹介したそうなのだ。
 それが、
・神を恐れることはない。
・死を思い煩うことはない。
・善はたやすく得られる。
・恐怖にはたやすく耐えられる。
 ということみたいなのだ。

 なんでも、神様は、とっても偉くて人を幸せにして
くれるのが神様だから、人を不幸にするはずがないか
ら、神を恐れることはないなんだそうなのだ。
 せーぎ(正義)の味方が、よわもの(弱者)をいじ
めたりしないし、悪者みたいな事しないから納得なの
だ。
 次に、死んでしまえば苦しむことがないから、死を
思い煩うことはないそーなのだ。
 たしかに、死んでいる事を苦しんでいる人なんて見
たことないのだ!
 ここは、めぐたんは納得できないけれどエピクロスは、
 欲望を出来るだけ少なくして、それで満足する事こそ
が善なんだから簡単に善は得られるそーなのだ。
 で、エピクロスは、人間が恐怖するのは2つあると
いったそうなのだ。
 一つ目は、死への恐怖。
 二つ目は、神への恐怖。
 これらは、もう、神を恐れる必要がないことはわかり
きっているし、死んだあとは苦しまないのだから思い煩
うことがないので、ダイジョウブなのだ。
 そんな風にして、エピクロスは、”哲学の救急箱”と
して、四種の薬をそなえておいたそうなのだ。
 そんなエピクロスだから、自分の哲学、つまり、快楽
主義は実践すべきと考えたみたいなのだ。
 で、そのために、ピザソース、じゃなくて、ラテ・ピ
オーサスといったそうなのだ。
 その意味は、隠れて生きよ。という意味なんだそうだ。
 普通の世間の中にいると、それだけで、必要以上の欲
望が刺激されてしまうそうなのだ。
 そうなると、我慢することが発生し、苦痛につながる
というのは、確かにそうなのだ。
 目の前にプリンがあれば、別にほしくなくても食べた
くなるけど、最初から無ければ本当にほしい時だけ、ほ
しいとおもうものねd(^▽^ ) ネッ
 でも、でも、
 エピクロスが死んだ後、多くのエピクロス学派の人たち
は、一面的な快楽主義にはしたそうなのだ。
 そんなことだから、快楽主義。という言葉の意味は、むしろ、
エピクロスの死後のエピクロス学派によって捻じ曲げられたそう
なのだ。
 でも、みんな遅いのだ〜。
 まぁ、次回までには復活するんじゃないかな。
 それじゃ、ありでべるちなのだ〜(・´∀`・)ノ》






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