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呟き尾形の哲学講座
第74回 ヘレニズム哲学
  新プラトン主義のまとめ

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、プロティノスの哲学のまとめだったね」
『はい。
 駆け足で、プロティノスについてまとめて行きたいと思います。
 まず、プロティノスの哲学は、アリストテレス流に解釈されて
いたプラトンの学説に新しい光を与えたといわれています。
 その内容としては、肉体から霊魂の浄化と純粋な思考力によっ
て、根源的な存在である神と交わるとしたほか、世界は”一者”
からの流出に他ならず、人はこの流出をたどって近づくことがで
きると説きました。
 さて、プラトンにおいては、イデア界というものがあり、その
下に、私たちの属する物質世界、現象世界があると明確に線引き
しました。
 プラトンのこのイデア界は、アリストテレスに感覚として体感
できる自然界もの以外は、人の意識には存在しないとし、。つまり、
アリストテレスは、プラトンがものの数を2倍にしたと批判しました。
 それに対して、プロティノスは、世界は二つの両極に張り渡しさ
れていると考えたのです。
 プロティノスは、プラトンの哲学のイデア界より進んだの究極
の原理を求めたわけです。
 そして、プロティノスは、イデア界にも様々な階層があると考え、
この究極の原理を求めるのならば、一切の多様性を取り除いた原理
が求められなければいけないことになります。
 つまり、イデアを真実とするなら、真実はひとつなのですから、
むしろ、多様性どころか存在や思惟の根源的な原理あるべきである
と考えたわけです。
 プラトンのイデアは、一つ一つのものにイデアが存在し、イデア
が複数存在すると考えられました。
 そこで、プロティノスは、イデアが複数あるのではなく、一つの
イデアから沢山の多様性、つまり、いろいろなものがあって、変化
に富んでいるって考えたのです。
 プロティノスは、これを「一者(ト・ヘン)」と名づけました。
 一者とは神々しい光であり、”神”とも呼ばれる存在でもあり
ます。
 この”一者”は空間や時間を超越した存在ですから、どこにあ
るわけでも、いつあったわけでもありません
ここで言う一者は、意識どころか、人格も持っていません。
 一者とは、あらゆる規定や法則に縛られない根本原理のこと
を指しています。
 プロティノスは、一者のことを光そのものだともしています
 そして、一者の対極に、絶対の闇が支配しているとされてい
ます。
 絶対の闇といのは、一者と対立する存在というよりも、絶対の
闇は、一者の光は届かないとしました。
 とはいいつつも、プロティノスはこの闇が存在するのではなく、
光が届かないにすぎないとしました。
 つまり、存在するのは一者だけであり、光源である一者の光が
闇の中でだんだんと明るさをうしない、限界までしか届かないと
しました。
 そして、プロティノスは、一者によって世界は存在の根拠を与え
られるとし、たとえるなら、泉からいくら水が湧き出ても枯れるこ
とがないように、一者自体は変化することはないとしました。
 これは、一者が、現実的無限の存在であるということだから
他なりません。
 この一者が、まず生み出すのはヌースといいます
 ヌースとは、知性、理性、精神のことですね。
 ヌースから更にプシュケーが生み出されます。
 プシュケーは魂だと思ってください。
 そして、プシュケーは、質料と結びつき、自然を形成し、それに
生命を与える力となります
 プロティノスは、この宇宙は、究極的な根源である一者から、流
出したと考えました。
 そして、一者は、力に満ち溢れ、たとえるなら絶え間なく光り輝
く太陽のように、万物を生み出し続けると考えました。
 つまり、この宇宙にあるすべてのものである、万物は、根源
的一者から溢れ出した結果だということだといえるでしょう。
 ただし、一者が宇宙を創造したということというわけでは
ありません。
 創造とは結局のところ作用であり、作用というのは変化する現
象界でしか起こりえないものです。
 プロティノスの言う、一者は、多に対する一でも、悪に対する
善でもない、相対的であることを超越した存在だってことで、
つまり、私たち、人間という不完全な存在が想像が及ばないくら
い完璧な存在だともいえるでしょう。

 とはいいつつも、私たちは不完全な世界の住人ですので、完全な
存在というものがいまひとつ想像しがたいものになってしまいます。
 そこで、プロティノスは、流出説というものを主張しました。
 流出説は、すでにグノーシス派によっても唱えられていました
が、新プラトン主義は、それをさらに発展させ、重要視した
のです。
 さきほど、一者は太陽にも例えられましたが、太陽から放たれた
光は、太陽から遠ざかるにしたがって、その明るさを弱めてしまい
ます。
 ですから、”一者”から流出したものも同じように、遠ざかるに
したがって、次第に完全さを失っていきます。
 つまり、一者から、流出した世界は一者より、どうしても粗悪な
存在になってしまいます。
 プロティノスは、それを、物質的世界にはまり込み、堕落している
状態にあることを意味すると指摘しています。
 ですから、プロティノスは、質的な存在が一番、”一者”に遠い
ということになります。
 プロティノスは、一者からの流出は、ヌースから魂を経て、段階
をふんで質料(物質的な存在)に行き着くというのが、流出の順番
だとしました。
 質量の中でも、一番最低の状態とは、闇であり、闇は、光の欠如
した状態のことだとプロティノスは考えました。
 そして、いわゆる悪は、一者からの光が欠如した状態の
便宜上の呼び方だとしたのです
 プロティノスの判断基準は、まさに、”一者”に近いか遠いか、
つまり、光がどれくらい当たっているかということです。
 ですから、プロティノスは言います。
 我々は、こうした物質世界への下降を喜ぶことを止めて、
”一者”へと自分を向上させねばならぬと。
 そして、人間の魂の故郷はイデア界にあって、魂を解放してイデ
ア界に帰り、そこからさらにヌースへと高まり、ついには一者その
ものと合一することが、究極的な哲学の目標であるとプロティノス
は主張します。
 そのための方法として、プロティノスは瞑想という方法を薦めて
います。
 プロティノスの弟子のポルフュリオスの記録によると、プロティ
ノスは宗教的な恍惚状態をも経験していたとされています。
 さらにプロティノスは、自分には厳しく、様々な節制を自らに施し
ました。
 プロティノスは、こうして、人が徳を実践し、己を浄化するするこ
とによって、流出の段階を逆に上昇させることで、一者と合一すると
考えています。
 このすべての過程は、単に、神秘的なのではなく、魂が自分の源へ
さかのぼる帰還であるとプロティノスは主張しました。
 これは、人間は肉体こそ感性界に属していますが、魂は、イデア界
に属しているため、人間は、動物的な部分と理性的な部分を持つので、
人間は動物にも神にもなるとプロティノスは考えました。
 ですから、もし、ある人間が、本能や欲求のままに動くのでは動物
と一緒だとプロティノスは評価しました。
 そこで、本能や欲求をも制御できる理性こそが、一者に近づき、幸福
なるのだと考えたようです。

 さて、プロティノス哲学の特色として、プラトン、アリストテレスなど
によって究極原因とされていた”知性”の上位に、さらに”一者”があ
るとし、これをむしろ第一原理としたことが、特色だといえるです。
 ギリシア哲学と中世の哲学の間にあったのが、新プラトン主義で、新
プラトン主義は、ギリシア哲学の終わりで、終わりだからこそ、中世の
哲学に影響を与えました。
 西欧のオカルティズムを遡れば、必ずこの新プラトン主義という哲学
思想である、”一者”という、いわゆる神のような存在に行き着きま
す。
 これは、”一者”は、人間に理解不可能とした出発点が、曖昧
かつ、多義的につかわれています
 中世哲学は、キリスト教という背景があっての哲学であり、
キリスト教でいうところの主、つまり、神が超有的超知性的な最
高始元、つまり、”一者”を重ねやすかったことがあるといえます。
 また、それに加えて、イデア界において”ヌース”と魂を区別し
ていること、流出説を承認していること、私たちの魂は、神との
合一の可能性を承認していること、こうしたものも、中世哲学に
強い影響をあたえたといえるでしょう。
「いやぁ、ずいぶん長かったね」
 それにしても、めぐたんが黙って聞いていたのは意外だったなぁ、
って、寝てるし。
《(_ _)。o○zzz》
「ということは、次回からは、中世哲学ってことなか」
 じゃ、今回はここまでだね、
 それじゃ、アリデベルチ。

★★★

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