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呟き尾形の哲学講座
第75回 中世哲学

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回から、中世哲学だったね」
『はい。中世とは、およそ、西暦がはじまり1400年間のこ
とを指します』
《うわ〜、気が遠くなるのだ〜。
 そんなに生きたらシワクチャになるのだ〜》
 いやいや、なにも一人の人の哲学じゃなくて、一つの哲学の
流れのことだよ。めぐたん。
「ほら、ヘレニズム哲学も、一人の人の哲学じゃなかったでしょ」
《はっはっは、ちょっとした勘違いなのだ〜》
『まぁ、いつからが中世哲学とされているかは、未だ定説はあ
りません。
 ただし、古代の哲学者プラトンが創立した、アテネの学園ア
カディメアがキリスト教徒である東ローマ皇帝、ユスティニアヌ
スの命令によって、529年に閉鎖されたことは象徴的な出来事だっ
たといえるでしょう。
 これは、中世哲学の基盤となるキリスト教の影響の強さを象徴し
ているからです』
《キリスト教? (◎_◎;) 》
 イエスを救済者キリストと信じ、イエスの行動と教えを中心に神
の愛と罪の赦しを説き、旧・新両聖書に基づき個人と社会の再生を
促す宗教のことだよ、めぐたん。
「いきなり、そんなことをしたの?」
『いいえ、もともとは、パレスチナにおこり、いわゆる西洋の世界
に広まり、やがて、ローマ帝国の国教となったことがあります。
 他にも、ギリシア世界の衰退、ローマの勃興と崩壊、ゲルマン民族
の大移動、イスラム抵抗の繁栄といった動乱の時代において哲学の
担い手は大きく変化していきました』
「へ〜ぇ、なんだかすごいことがおこったみたい」
『そうですね。
 当時の価値観は崩れていく一方でした。
 そんななか、キリスト教は、ユダヤ教の一分派として興り、急速
にひろまっていきました。
 キリスト教は創始者イエスの死後,使徒らの布教が進められました』
「創始者じゃないんだ」
『はい。そうなんです。
 当時政治的にはローマ帝国に支配されていたとはいえ,最高度の知
的文化を誇っていたギリシャ世界にもキリスト教は流入していきます。
 やがて、4世紀にキリスト教が政治的理由から、ヨーロッパ世界の
中心教義になり、哲学に大きな影響をあたえました』
《ほえ〜、(@0@)
じゃぁ、キリスト教が、ちゅーせーてつがくなのか?(ё_ё)》
『当たらずとも遠からずです。
 キリスト教は、神の存在や「神の子」イエス、人間の原罪など、
理性では説明のつかない、多くの非合理的な教義が含まれていました。
 それを、ヘレニズム世界の哲学が受け継ぎます。
哲学的、論理的思考能力を持ったギリシャ人達は,神の受肉−無限
であるはずの神が有限な人間になる−という、論理的矛盾を持った教
えをあくまで理性によって解決しようとします』
「なるほど、哲学はキリスト教のウマく説明できない部分を説明しよ
うとしたんだね」
『そうですね。
 それに加え、12世紀にアラビア世界から逆輸入されるアリストテ
レスの哲学と融合させることによって、いかにして、理解可能ににす
ればよいかが、初期、中世哲学者たちの主要なテーマでした。
 それは合理的で、普遍的な”知(知性)”と、非合理で個人的な
”信(信仰)”のバランスの問題であるともいえました』
《ふに、なにが問題なのだ?(・_・?) 》
『知を優先させれば、合理的な秩序や普遍性を重視し、信が軽んじ
られます。
 一方、信を優先させれば、非合理的な石や個人的決意を重視し、
知が軽んじられます。
 つまり、どちらを優先させるべきかが、中世哲学者たちの論争の
種だったといえるでしょう』
「どんな論争があったの?」
『中世の始まりのころの論争は、まず、知を重視するグノーシス派
と、信こそすべてとするテルトッリアヌスの間に起こりました。
 この対立はアウグスティヌスによって、調停されることとなります。
 しかし、この調停において、普遍的秩序をどの程度認めるべきかを
めぐる論争が続きます』
《ふに、別に、比べなくてもいいんじゃないのか?(|||´Д`)3 》
 まぁ、それを議論するのが哲学なんじゃないかな、めぐたん。
『そうかもしれませんね。
 この論争を、普遍論争といいますが、この論争が収まるまでに、
トマス・アクィナスを待たなければいけませんでした。
 ところが、スコットゥスやオッカムのウィリアむはさらに過激な
主張を繰り広げ、ついには、知と信の共存という中世的な秩序を打
ち壊すにいたります。
 こうした哲学は、やがてルネッサンスを生み出し、科学的な観察
や実験を重視し、科学を推進する個人に注目する近世的世界観とつ
ながっていく事になります』
 じゃ、今回はここまでだね、
 それじゃ、アリデベルチ。
 

★★★

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