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呟き尾形の哲学講座
第86回 中世哲学 アウグスティヌス 時間とは何か?

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は何についてなの?」
『今回は、アウグスティヌスが考えた、時間とは何か、について
です』
《じかんっていえば、朝起きて夜にねむるってあれか?(・_・?) 》
『ま、まぁ、そんなところです。
 ただ、そうした時間よりずっと概念的なものをアウグスティヌス
は問いを投げかけていました。
 天地創造の前、神はどうしていらしたのか?
 というものです』
「ああ、たしかにそれはわからないことだね」
『そうですね。
 しかし、この問いは冷静に考えれば、ナンセンスな疑問だといいえ
ます』
《自分で問いを投げかけておいて無責任じゃないか( ̄ε ̄;)》
『まぁ、考えた末の結論ですから。
 さて、アウグスティヌスは、そもそも、神は、天地創造した際にす
べてを作られたと考えました。
 ですから、時間をつくったのも神だといえます』
「あ、そういわれてみるとそうだね」
《どういうことなのだ?(◎_◎;) 》
『そもそも、時間が創造される以前には前とか後とかという概念自体
が存在しないということです』
「それは、天地創造されてもいなければ、時間も創造されていないって
こと?」
『はい、そのとおりです』
《時間も無いなんて想像できないのだ〜(||@Д@)》
 だからこそ、天地創造の前、神はどうしていらしたのかなんて問うこと
がナンセンスだってことだよ。
 めぐたん。
『アウグスティヌスは、また、時間とは,客観的にあるのではなく、記
憶という過去のものの現在、今現在の知覚、注目、直感的に認識する現
在のものの現在、未来を期待したり予感したりする未来のものの現在が
存在するとしました』
「過去にしろ、思い出している今があって、未来にしろ、予想をしている
今があるってことだね」
『はい、そのとおりです。
 つまり、時間は心の中に存在するということになります。
 だからこそ、神は時間の外にあるといいえると、アウグスティヌスは
考えました』
《なんでなのだ?( ̄_ ̄?)》
『そもそも、神には過去も未来もない。全てが同時に存在するとアウグス
ティヌスは考えました。
 それは、神は永遠であるゆえに、時間すら超越しているということに
なるわけです』
「つまり、この世界は神が創造したわけだから、神に創造された人間や被
造物の存在なしには時間も存在しないといいえるわけだね」
《じゃぁ、そんな風に、神様がなんで時間を作ったのだ?(?_?)》
『それは、生命は不完全で、分散した存在ではあるものの、前にあるもの
に向かって分散せずに緊張し、神を追い求めることが出来るようにするた
めだとアウグスティヌスは考えました。
 そして、確実に知りえることは、自分が存在していることであり、自分
が思惟することだとアウグスティヌスは主張します。
 このことから、自分がどこから来たかではないし、自分を単一であると
感じるか、それとも多数であると感じるのか? という問いの回答は、永
遠に知りえないとしました』
《むずかしーのだΣ(≧∀≦)》
『まぁ、なんというか、アウグスティヌスの主観的な主張の側面が
出ているところですからね。
 しかし、それだけに、近代哲学の、デカルトの我思う,ゆえに我あり
を髣髴させるような主張をしています』
 それじゃ、アリデベルチ。

★★★

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