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呟き尾形の哲学講座
第92回 中世哲学 スコラ哲学
 アラベルドゥズ 普遍論争

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
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「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、何についてなの?」
『今回は、アベラルドゥスの話しに入る前に、普遍論争について
お話したいと思います』
《ふへん、ふ〜へん・・・く〜へん・・・わかったの
だ!!!(⌒〜⌒)
 バウムクーヘンの親戚の話しだな( ̄ー+ ̄)
 お菓子の話しならめぐたんは得意なのだ》
 い・・・いやめぐたん、さすがにそれは苦しいよ。
 普遍論争というのは、普遍は、個物に先立って実在する
という実念論が正しいのか、あるいは個物のあとに人間が
つくった名辞にすぎないという、唯名論がただしいのかという
対立があったんだよ。
 それを普遍戦争といって、中世スコラ学の論争の一つだとい
われているんだよ。めぐたん。
「スコラ哲学?」
『そういえば、説明していませんでしたね。
 スコラというのは、学校の意味で、今回の、アラベルドゥ
ズのころ、西欧中世の教会・修道院の学校の学者・教師たち
によって担われた学問です。
 この普遍論争は、11世紀後半から14世紀にかけて、ス
コラ学を通じて繰り広げられたのが、普遍の存在性格をめぐ
る論争でした。
 もともとは、もっとさかのぼって、三世紀の新プラトン派
の哲学者ポルビュリオスがアリストテレスの論理学に関する
著作、「エイサゴーケ」の中で、普遍は、個別的な事物の側
にあるのか、それとも言葉や概念の側にあるのかという問い
かけが発端で、それがスコラ哲学で改めて問い直された形に
なります。
 さて、このスコラ哲学の初期の哲学者の一人であるロスケ
リヌスは、普通は事物の側に存在せず、それらの物の名称と
しての音声言語にすぎないと主張しました』
「どういうこと?」
『そこにある一つの”もの”こそが実際に存在するもので、
普遍というのは、実在するものというよりも、単に”もの”
につけられた名前にすぎないということです』
《ふに、それは当たり前のことじゃないのか?(◎_◎;) 》
『そうでもありません。
 それとは反対に、シャンボーのギョームという哲学者は、
普遍的な言葉に対応して、それと同じものがものごとの側
に実在していると説きました』
「こっちもわからない」
『たとえば、”人間”や”動物”など、共通点をもつグ
ループにわけられる種や類などの普遍概念に対応する普遍
的なものが、”もの”とは別に、何らか存在することを主
張するということです』
《わかったような、わからないような・・・( ̄ε ̄;)》
 まぁ、めぐたんは、魔女っ娘というグループに入ってい
るけど、じゃぁ、その魔女っ娘というグループは、後から
人間が決めただけなのか、それとも、事前に決まっていた
ことなのか?
 ってことだね。
《なるほど、なんとなくわかったのだd(゜ο゜)o》
『普遍論争では、前者を唯名論、後者を実在論といいます。
優れた論理学者であった。アベラルドゥズは、ギョームを
批判する形で、普遍を問題にする新たな視点を提示しまし
た』
 それじゃ、アリデベルチ。
 

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