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呟き尾形の哲学講座
第100回 中世哲学 スコラ哲学
 トマス・アクィナス 神の存在証明 1

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は何についてなの?」
『今回は、トマス・アクィナスが証明しようとしたものの一つ、
神が実在するということについてお話したいと思います』
《かみはだれにでもはえているのだ(⌒▽⌒)トーゼンナノダ》
 神様だよ、めぐたん。
 人間を超えた存在で、人間に対し禍福や賞罰を与え、信仰や
崇拝の対象となるもので、特に、哲学では、世界や人間の在り
方を支配する超越的な最高存在ということになっているね。
『トマス・アクィナスは、神が実在するものであると証明しよう
としました。
 トマス・アクィナス以前において、キリスト教の中心である
神そのものについて明確な答えはありませんでした』
「えっと、フィロンは、永遠のロゴスは、神の像だっていっていた
し、アウグスティヌスは、世界に存在するすべての原理的根拠
イデアとしての神の精神に含まれるって、説明したんじゃない?」
『そうですね。
 でも、フィロンもアウグスティヌスも、それは神の存在を前提と
した説明であって、改めて、神の存在を証明しようとしたものでは
ありませんでした』
「それはどうして?」
『それは、人間の理性の限界ということでしょう。
理性では神がどういうものか分からないことを指摘します。
 たとえば、三位一体や化肉/受肉,最後の審判,無からの創造といっ
たようなものは理性では証明できません』
《じゃぁ、トマス・アクィナスだって証明はできないんじゃないの
か?(`□´)デキッコナイノダ》
『このことについて、トマス・アクィナスは,神は無限の存在である
ものの、人間は神が創りだした有限の存在に過ぎないからであるとしま
す。
 つまり、人間と神では存在の意味そのものが違うのであるとしました。
 有限の人間には、不確かな真理しか認識することができないのは必然
で、無限の神の一部しか認識しえないというわけです』
「う〜ん、それじゃ、やっぱり神の存在証明はできなかったということ?」
『いいえ。
 トマス・アクィナスは、キリスト教の教えを、聖書の言葉だけではなく、
自然の理性のうちに、自然の光に依拠して議論を進めたいと考えました。
 なぜなら、キリスト教の教えは、キリスト教徒にのみ受け入れられるも
のであり、異教徒は聖書の権威を受け入れないからです』
「えっと、いままでの哲学では、聖書の言葉をつかって説明していた
けれど、他の宗教の人にもわかるような言葉で証明しようとしたという
こと?」
『そうですね。
 トマス・アクィナスは、自分はあくまでも自然的理性に従って考えるこ
とにしました。
 もちろん、いきなり、すべて自然的理性では信仰に関する究極的な部分を
論証できるとしたわけではありません。
 論証できない部分は、できない部分は仕方が無いとした上で、保留たの
です』
《それって、しょーめーできないというのとどーちがうの
だ?(○`ε´○)ぶーっ》
『最初から諦めることなく、神の存在が真理であれば、その部分は、
いずれ真理であれば、ある部分は論証できるだろうと考えたのです』
 なるほど。
 証明できないから、間違い、じゃなくて、証明できないところは、正解
とか不正解とかはいえないから、それを信じて証明の努力をし続けるって
ことだね。
 シニョール呟き尾形。
『はい。そうですね。
 たとえば自然的理性は神の存在や魂の不死性を論証することはできる反面、
三位一体や受肉、最後の審判のごとき教義は証明できないとトマス・アクィナ
スは考えました。
 そして、神を認識し、絶対的な真理に到達するには,どうしても、信仰と聖書
による啓示が必要であると、トマス・アクィナスは考えました。
 この考えは、哲学的な真理を否定するのではなく、哲学的真理は、神ならざる
人間という有限な存在に規定された真理としてあつかったのです』
「えっと、哲学的真理は神様を含むんじゃなくて、あくまで限界のある人間にだ
けあてはまるものってこと?」
『う〜ん、ちょっと違いますかね。
 人間にだけ当てはまるのではなく、人間が認識できる真理として考えた方が
しっくり来るかもしれません。
 これは、 神が人間を創造し、人間に存在を与えたという事実によって、
このふたつの真理が対立するのではなく、お互いに補い合う原理となるとトマ
ス・アクィナスは考えたのです』
 それじゃ、アリデベルチ。
 
 
 
 

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