登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人
★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、トマス・アクィナスについての何の話しなの?」
『今回は、トマス・アクィナスの神の存在証明の続きの話しをしましょう。
まず、旧約聖書において、神は有ててあるもの、つまり、存在
と言う規定以外にもたないものとされていました』
「それって、神様は神様という以外の規定をもたないってことじゃ
じゃない?」
『はい。その通りです』
《ふに、どーゆーこと?(?_?)》
規定というのは、物事のありさまをある形に定めることだよ、
めぐたん。
つまり、神は神という以外、人間に、神についてのありさまを
定めることはできないというのが、旧約聖書にかかれて到って言う
ことだね。
シニョール呟き尾形。
『はい。その通りです』
「でも、それじゃ、改めてトマス・アクィナスが神の存在証明なんて
できないんじゃない?」
『そうですね。
そこで、トマス・アクィナスは、最低限の規定をあたえるために、
神を本質と存在が一体化しているものとして最低限の規定しました』
「でも、規定できないのに、規定していいの?」
『トマス・アクィナスは、神のことを疑って存在証明をしようとした
わけではなく、むしろ、神の存在をより確実なものとして認識する
ために証明を試みたと考えられます。
これは、トマス・アクィナスが、すべての普遍は神の中にある、
あるいは、神こそが普遍のなかの普遍だと説いたところから見受け
られます』
「つまり、そもそも神こそが真理なのだから、真理であれば、存在
証明はできるって考えたってこと?」
『そうですね』
《でも、なんでそーなるの?(・_・?)
って、ずっと聞いていると、応えられなくなるんじゃないの
か?( ̄ε ̄;)》
『それにあえて応えるとすれば、現象としてそうあるからといえるでしょう。
そして、普遍とは、そうあることこそが普遍なのです』
「アリストテレスのいうところの形相になるのかな?」
《ギョウソウ?(^.^?)
わかったのだ、餃子の親戚だな(◎−◎)》
「形相については、
呟き尾形の哲学講座
第10回 ソクラテス イデアについて
http://homepage2.nifty.com/SON/tetugaku/TETU10.htm
とか、
第30回 アリストテレス ディミナス
http://homepage2.nifty.com/SON/tetugaku/TETU30.htm
第31回 完成されるための4つの要因
http://homepage2.nifty.com/SON/tetugaku/TETU31.htm
で話しているね。
「えっと、たしか、形相は、エイドスともいわれていて、真実の形
のことだったよね」
『そうですね。
そして、その真実の形が、なぜ真実の形であるといいえるのかといえば、
それは、そうであるから。
としかいいようがないわけです』
《わわ、なんか、だまされたような気がするのだ(◎−◎)》
『まぁ、そうかもしれませんが、真実というのは、まさに、それが、
真実であるからとしか言えないのです』
「そして、それが形相だってことだね」
そのうえ、普遍的なことだともいえるね。
シニョール呟き尾形。
『そうですね。
トマス・アクィナスの卓越した思想は、そうした形相や普遍を中心に、
人知では知ることができないものとしての神をおいたところでしょう。
神は無から質料と形相を生みだし、質料と形相によって世界を創造し、
質量と形相を結び合わせて、新しいものを次々とうみだし、今も継続し
て行われている、とトマス・アクィナスはいいました』
「えっと、神様は、まだ世界を作っているってこと?」
『そうですね。
当時、この考え方は極めて斬新な考え方だったといえるでしょう』
《ふに〜、なんか実感がないのだΣ(○ロ○)》
『たしかに、物質的な質料と観念としての形相は区別されるのが、
通常ですからね。
しかし、神の場合は、それらは一体化しているので、神の本質と存在
は、通常とは違う意味になるわけではないのですね』
それじゃ、アリデベルチ。
★★★
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