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呟き尾形の哲学講座
第104回 中世哲学 スコラ哲学
 トマス・アクィナス 神の存在証明 4
 人間の第一原因

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、神の存在証明の続きだったよね」
『そうですね。
 前回は、第一の原因が存在しているとのべましたが、それは、
一番初めに動かす存在、第一原因としての、不動の動者の存在
が必ず必要になるということです』
《ふに、なんでなのだ?(?_?)》
『もし、第一原因がないのであれば、物事に始まりはありません。
 しかし、実際は何事にも始まりが存在します』
「たとえば、どういうこと?」
『たとえば,杖がものを動かすのは,何者かの手により、杖が動かされ
ます。
 これは、杖という第二次的な諸動者は、杖を動かす第一原因によって
のみ動かされます』
「だれかが、杖を動かさなければ、杖は動かないってことだね」
《でも、風とかで動くことがあるのだ( ・.・)ボソ》
『その場合は、風が第一原因になります』
「別に人でなくてもいいんだね」
『はい。トマス・アクィナスは、何ものによっても動かされることの
ない何か第一の動者にまで至ることは自明だと考えました。
 そして、トマス・アクィナスは、すべての人々の第一原因は、神と
解釈としたわけです』
「えっと、トマス・アクィナスは、神が人間を操っているって考えたっ
てこと?」
『いいえ。
 トマス・アクィナスは、キリスト教においては聖書が理性をとおし
て人間たちの前に啓示していると考えていたのです』
《どーちがうのだ?(^.^?)》
『キリスト教において、神は聖書をとおして、倫理や道徳というもの
を含めた教えを伝え、多くの人に、良心に基づいた倫理や道徳に従っ
た行動をとるべきだと人間に掲示したということです。
 つまり、人間には良心が存在し、各自の良心と判断基準によって、
自然と善悪が区別できるようになっているということです』
「でも、それは、聖書にだけ書いてあることじゃないんじゃない?」
『たしかに、聖書をよまなくても、たいていの人は、各自の良心に
従って行動すれば、他の人を苦しめてはいけないと感じてしまいます。
 自分が苦しんでいるときに助けてもらいたいと思うように、他者も
そうしてあげるべきだと感じてしまいます。
 でも、その両親の基準は人それぞれです』
「そっか、聖書に書いてあることは当たり前だけど、聖書という形
をとった言葉を、神の言葉ということで、その基準をみんなで共有
するってことだね」
『はい。その通りです』
 あ、気がついたら、ミーオのセリフが挨拶だけだった。
《ふに、うさぎはたまには黙っているのがいいの
だ⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ ふふふ》
 う・・・。
 それじゃ、アルデベルチ。

 
 
 
 

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