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呟き尾形の哲学講座
第107回 中世哲学 スコラ哲学
 トマス・アクィナス
 アナロギア

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は、何についてなの?」
『今回は、アナロギアについて話したいと思います』
《おお、めぐたんもあなごは大好きなのだΨ( ̄∇ ̄)Ψワッハッハ〜♪。
 ウナギもすきだけど(^¬^)》
 アナゴじゃなくて、アナロギアだよ、めぐたん。
 まぁ、類比、くらべることだね。
『そうですね。
 トマス・アクィナスは、存在の本質には、さまざまな
段階があり、存在は書く存在者の本質の程度に応じると
考えました。
 ここでいう段階がアナロギア、類比ですね』
「たとえば、どういうこと?」
『たとえば、神の知性という形は、人間の理性としての
形としたとえられられます』
「そういえば、キリスト教では、人間は神に似せて作った
とされているものね」
『そうですね。
 その意味で、神の知性も人間の理性も、一つの形として、
主観を交えず、対象のあるがままの姿を眺めるものとしての
知性では、認識原理という関係性で一致しているといい得る
わけです』
《それだけで、あなごなのか?(◎_◎)》
「アナロギアだよ、めぐたん」
『ま、まぁ、今回の神の知性も人間の理性の本質的な類似の
ことをアナロギアというわけです』
「でも、それって、たまたま人間に当てはまる存在という言葉を
当てはめただけじゃない?」
『たしかに、人間の頭や足などの体の部位と体の関係を釘の頭とか、
机の足といったように、私たちは、人間に当てはまる存在という
言葉を類比的に神に宛ては待て炒るに過ぎず、その真相は決して
わからないわけですが、他にも関係性があることも指摘されてい
ます』
「それは何?」
「分有の関係性というもので、いわゆるイデアや形相と、それに分
け与える形のことです。
 トマス・アクィナスは、有限な人間に「存在」そのものを認識する
ことは出来ませんが、それが、神の存在は人間存在とはまったく異な
ることの証明ではないと考えました。
 神が真理であるわけですから、有限な存在から無限の存在という
アナロギアがあるとトマス・アクィナスは考えました』
 つまり、人間は、自分の知性を不完全で有限としながらも、実際
体験できないことも、知覚による経験を通して、アナロギアという
手段によって、完全な神に近づけるって、トマス・アクィナスは考え
たんだね。
 シニョール呟き尾形。
『そうですね。
 有限で不完全な存在であっても、そのをアナロギアによる類推によって
神が存在するといい得るとトマス・アクィナスは考えたわけです』
 それじゃ、アリデベルチ。

 
 
 

★★★

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