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呟き尾形の哲学講座
第113回 中世哲学 スコラ哲学
 ドゥンズ・スコットゥス 固体の重視2

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回は、トマス・アクィナスについてだったけど、ドゥンズ・
スコットゥスについてだったんだよね?」
『そうですね。
 ただ、ドゥンズ・スコットゥスの哲学は、トマス・アクィナス
の哲学と比較しながらした方がわかりやすいとおもいますので、
引き続き、存在の一義性について、トマス・アクィナスにふれながら
話していきたいと思います』
《めんどーなのだヽ(`Д´)/》
「でも、わかりやすい方がいいんでしょ」
《それはそーなのだ(@◇@;) ウ・・・。
 じゃー、しかたない。
 呟き尾形、話を続けるのだ(*・ω・)bネッ★w》
 話の腰を折っておいてそれはないとおもうけど・・・
『ま、まぁ、話を続けましょう。
 トマス・アクィナスは、現実に存在するものとは、感覚的な認識を
通してでしか、多数の物事の共通性を取り出すことはできないと考
えました。
 そのため、アリストテレスやトマス・アクィナスにとって、すべて
の存在は、種類や段階を区別する必要性がでました』
「たしか、神様から感覚的事物とか全部だよね」
『そうですね。
 アリストテレスやトマス・アクィナスにとっては、現実に存在する
もののさまざまなあり方が、存在の本質だといえるでしょう』
《どーんずはちがかったのか?(・_・?)》
『はい。ドゥンズはこの考えに反対しました』
「じゃぁ、人間の知性は事物の本質をとらえるためには、感覚的な
認識はいらないってこと?」
『もちろん、人間の知性は、感覚的な認識によって物事の本質をと
らえることはありえますが、ドゥンズは、人間の知性が原罪によっ
て曇らされてしまったからだと説きました』
「えっと、それは、本当は、物事は、感覚的な認識を通さなくても、
人間は知性によって本質をとらえられるんだけど、原罪が原因でそ
れができなくなっているってこと?」
『そうですね。
 そして、ドゥンズは、一つひとつの存在は、一つの存在として一
義的なものであるべきだと主張したのです』
《ほえ〜(☆o☆)キラキラ
世の中にあるものが本当はいちごだなんてすごいの
だ(@ ̄¬ ̄@)ジュルリ♪ 》
 いちごじゃなくて、一義だよ、めぐたん。
 今回の場合は、一義的であるべきというと、一つの存在にたいし
て、一つの意味であるべきだ、ってことだね。
『そうですね。
 ですから、ドゥンズ・スコットウスは、その能力が衰えただけで、
失ったわけでないとしたわけです。
 なぜなら、トマス・アクィナスのように、感覚的存在から神の存在
を類推するとなれば、神に感覚的属性を帰属させることになるから
です。
 すべての存在は存在として、同一であって、それには本質と存在、
可能態と現実態の区別も必要ではありません』
「でも、それだと、子供から大人に成長することがうまく説明でき
なくなるんじゃない?」
『いえいえ、そもそも、ドゥンズは、一つ一つの存在は、一義的な
ものであると考えているわけです。
 ですから、たとえば、Aさんという人がいたとして、Aさんが子
供であろうと、将来大人であろうと、Aさんは、Aさんであること
には間違いないわけです』
「そっか、トマス・アクィナスは、種類や段階を区別する必要性が
あったけど、ドゥンズは、一つ一つの存在が、一義的だから、区別
する必要がなかったんだね」
『そのとおりです。
 ただし、ドゥンズ・スコットゥスは、同じ存在が二種類以上の形
態や、形式のなかでも、無限存在と有限存在に分けられるとしまし
た』
《なんでなのだ、さっきはそんなことはないっていわなかったか?》
『まぁ、特別な存在があるんです。
 それは、神様です。
 神は無限存在であり被造物は有限存在しました。
 ドゥンズ・スコットゥスにおいて、神の存在の証明も、この区別に
もとづいています』
 それじゃ、アルデベルチ。 


 
 
 

★★★

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