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呟き尾形の哲学講座
第117回 中世哲学 スコラ哲学
 オッカム オッカムのかみそり

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回は、オッカムの歩みについてだったよね」
『そうですね。
 今回から、オッカムの哲学についてお話ししたいと思います』
《話すのだ(σ・ω・)σ》
『まず、オッカムは、スコットゥスの主意主義をさらに徹底させ、
普遍的本質の存在を否定し、神を知的な学問の対象にすることは
できないと主張しました』
《ふに?( ̄◇||||)?》
 ドゥンズ・スコットゥスは、唯名論の代表者だったのは覚えている
かな、めぐたん。
《すっかりわすれていたのだ(⌒〜⌒)》
「ところで、主意主義って何?」
 世界の根本原理を意志に認める立場さ、ムーシコス君。
「つまり、オッカムは、世界の根本原理は、意思にあるって主張したって
こと?」
『そうですね。
 オッカムは、スコットゥスの主意主義をさらに徹底させる手法として、
オッカムのかみそりというものがあります』
《ひぇぇぇ、オオカミノヒゲソリ〜(||゜Д゜)ヒェ〜〜〜〜〜〜〜!!!
 おっかないのだ〜(゜皿゜≡゜皿゜)。
 でも、オオカミさんはひげをそるのか?(lll ?_?)》
 オッカムのかみそりだよ、めぐたん。
 存在しない、普遍的本質をかみそりで切り落とすような鋭い論理展開って
ことだよね。シニョール呟き尾形
『そうですね。
 オッカムは、オッカムのかみそりによって、思考の節約原理は、既存の無用
な軽視上学的思弁を一掃しようとしました』
《ひょえ〜(。>ω<)。
 おっかないのだ〜(||@Д@)》
「でも、どんなふうに?」
『哲学はついつい、抽象的な物事の考え方になり、存在しているものを増や
しがちですが、それだと存在するものが無限に増えるだけでなく、曖昧で
現実的かどうかぼんやりしてしまいます。
 そこで、オッカムは、認識対象を具体的個物としてとらえ、とても具体的に
はあてはめられないようなことは、切り落としていこうという節約原理に基づ
いた姿勢をもったわけです。
 そして、このオッカムの姿勢は、近代自然科学成立の基礎を築いたと言える
でしょう』
「なんだか、すごいね」
『また、オッカムは、神や故人の遺志を重視し、合理的秩序より、個物を優先
させる主意主義は、オッカムによって、頂点に達したとも言われています。
 このオッカムの哲学は、知的に理解される合理的秩序を重視する主知主義に
たいし、オッカムの見解は、当時としては、神は全能の意志を持ち主であると
考えたドゥンズよりも、さらに過激でし
た』
「どういうこと?」
『オッカムの主張は、個物は相互に共通点を持たないというものです。
 そのうえで、真に存在するものは、個々の事物のみであり、すべてがユニー
クであると考えたのです。
 認識と呼べるのは、個物についての直観だけだとオッカムは考えたのでした』
「それじゃ、オッカムは、普遍的な本質や概念は嘘だといったの?」
『いいえ。
 普遍的な本質や概念があるから、一人一人の個人を、大きな枠で人間と抽象
的に分類するのは、多くの個人に、人間という名称があるにすぎないとオッカ
ムは主張したのです』
《よくわからないのだ(=皿=)ッキ》
 一人一人の個人を便宜上人間と呼んでいるだけで、実際に普遍的な本質や概
念があるからじゃないってことだね。めぐたん。
「えっと、それだと、プラトンがイデアみたいな、全部に当てはまる普遍的な
本質というのは、ないってこと?」
『まぁ、オッカムは、イデアのような、すべてに当てはまる普遍的本質は、認
識し得ないと考えたようです。
 つまり、認識できないから存在しているとは認められません。
 という考え方ですね』
「ああ、そうか、オッカムのかみそりは、節約の原理だから、普遍的本質をか
みそりで切り落とすような鋭い論理展開だったんだよね」
『そうですね』
 オッカムは、存在を必要もなく増やしてはならないというオッカムの節約の
原理を重視したといえるでしょうね』
 それじゃ、アルデベルチ。 


 
 
 

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