ホーム > 目次 > 呟き尾形の哲学講座 


呟き尾形の哲学講座
第118回 中世哲学 スコラ哲学
 オッカムのウィリアム 記号論

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回は、オッカムのかみそりについてだったよね」
《オオカミノカミソ・・・Σ( ̄皿 ̄;;》
 前回と同じ聴き間違いはみとめないよ、めぐたん。
《だって、そーきこえるんだも〜ん(´▽`;)ゝ》
『・・・。
 ま、まぁ話を進めましょう。
 オッカムは、真に存在するものは、個々の事物のみとし、いわゆる普遍は、
記号もしくは、名辞にすぎないと考えました』
「名辞って?」
 言語に表現された概念ってことだね。ムーシコス君。
「えっと、普遍的な物っていうのは、全部記号とか表現であって、真に存在
するものじゃないってこと」
『そうですね。
 ちなみに、記号には、習慣に基づくものと自然に基づくものがあります』
「習慣に基づくものはどんなもの?」
『いわゆる名詞などにあるような名前や、書かれたりする言葉は習慣的な
記号だといえるでしょう』
「じゃぁ、自然に基づくものは?」
『いわゆる感嘆詞ですね』
《かんたんな詩か?( ̄ー ̄ッフ
 簡単なものは得意なのだΨ( ̄∇ ̄)Ψワッハッハ〜♪》
 感嘆っていうのは、感心してほめたたえたり、なげいたり呻いたりする言葉
が感嘆詞だね。
 めぐたん。
『そうですね。
 そして、オッカムは、概念は事物を示す自然的な記号だと考えました。
 その中でも、記号がただ一つの事物の記号であるときは固体概念であり、
多くの事物の記号であるときは、普遍概念であると考えたのです』
「えっと、固体概念って?」
 自身の性質や規定をもって、他とは区別される単一固有の独自の存在について、
思考によって捉えられたり表現される時のイメージだね。
 ムーシコス君。
『そうですね。
 個体概念は、特に固有のものをさす、たとえばムーシコスなどの個体の名前
だということですね』
《じゃぁ、普遍概念は?(; ̄ー ̄)...ン?》
『ウサギや人といったような、固有のものではなく、その記号や名辞が多くの
個体を指す場合の概念ですね』
「えっと、普遍論争にあった唯名論と概念論の部分と重なるのかな」
『そうですね。
 オッカムは、記号、もしくは名辞の特性はそれが何かの代わりに用いられる
何か表示するものであると考えました。
 つまり、概念のもつ普遍性は、多くの事物を表示するということにすぎないと
いうことです。
 これは、概念や普遍性は認識されるだけで、事実として存在するわけではない
とオッカムは考えたのです』
「えっと、記号や名辞は、それを表わすイメージで、そのイメージは実際にそこに
あるわけじゃないってことだよね」
『その通りです。
 このようなオッカムの唯名論によって、これまでの実在論の上に築かれた、神の
存在の証明といった、キリスト教的軽視上学的理論は、論証不可能な説として単
なる信仰の領域へと追いやられてしまったのです。
 このオッカムの哲学により、哲学と信仰はそれぞれ別の道を歩むことになりま
した』
 それじゃ、アルデベルチ。 


 
 
 

★★★

       前へ    次へ     

質問、感想などは 、呟き尾形の哲学講座 掲示板に書き込みしください。

 

目次へ戻ろう