ホーム > 目次 > 呟き尾形の哲学講座 


呟き尾形の哲学講座
第120回 中世哲学 スコラ哲学
 オッカムのウィリアム まとめ

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回はオッカムの何についてなの?」
『今回は、オッカムについてのまとめです』
《もうなのか?Σ( ̄□ ̄;)》
「あっという間のような気もするけれど4回続いたものね。
 オッカムは、オッカムのウィリアムと呼ばれているんだよね」
『そうですね。
 オッカムのウィリアムは、フランシスコ会会士、後期スコラ
学を代表する神学者・哲学者です』
 通例オッカムとよばれますが、実は、オッカムは姓ではなく、
イングランドのオッカム村出身なので、オッカムとよばれてい
たんだよね。
 シニョール呟き尾形。
『そうですね』
《ホッカムリは、名字じゃなかったのか・・・(;¬_¬)》
 オッカムだよ、めぐたん。
《にゃは、かみまみた(*'-'*)エヘヘ》
「かんでるし・・・。
 それはさておき、
 オッカムの生没年については、諸説があり、没年には1349
年にペストでなくなったんだよね。
 あれ、1347年だったかな」
 没年にいろいろな説があるんだよね。シニョール呟き尾形。
『そうですね。
 当時は、ペストの流行などがあり、社会的に混乱していた時
期だからではないかと思います』
「たし、オッカムの生い立ちは、オックスフォード大学で学ん
で、フランシスコ会に所属したけど、学長と対立しましたんだ
よね」
『そうですね。
 フランシスコ会の会則の解釈をめぐり、いわゆる清貧派の立
場をとりました』
《せーひんってなんだっけ?(゜Д゜)・・・・・・??》
「清貧は、富を求めず、正しいおこないだよ。
 で、たしか、オッカムは、神の節約の原理 オッカムの剃刀
の提唱者として知られているんだよね」
《ふに、神様も節約する時代になったのだ( ̄へ ̄|||) ウーム》
「神の節約の原理だよ。
 この原理をつかって、オッカムの剃刀を提唱したわけだけど、
説明するためには、必要以上に多くの前提を仮定するべきじゃ
ないっていう考え方だね。
 それでたしか、オッカムは普遍論争では唯名論の立場をとっ
たんだよね」
『はい、そうです』
《ゆーめーろんっていうのは、有名人が偉いってやつか?(・_・?)》
「そんなことはひとこともいっていないよ。
 でも、オッカムの剃刀の名の通り鋭い指摘は、議論で勝てない
相手からは、異端だとして訴えられたんだよね」
《なんか、ずるいのだ( `皿´)-o》
「もちろん、オッカムは、逃亡して神聖ローマ帝国皇帝バイエル
ンのルートヴィヒの保護を受けたけど、オッカムは、ミュンヘン
でペストで没し、市城壁外のペスト死亡者用墓地に葬られたとい
うのはちょっと残念なような気がするね」
《ゆうめいな人なのに、お墓参りできないのは、残念なの
だ( ´△`)あ〜》
 で、オッカムは、主意主義を徹底させ普遍的本質の存在を否定
し、神を知的な学問の対象にすることはできないと主張したんだ
よね。
 ムーシコス君。
「そう、つまり、オッカムは、世界の根本原理は、意思にあるっ
て主張したってことだね。
 そして、オッカムは、認識対象を具体的個物としてとらえ、と
ても具体的にはあてはめられないようなことは、切り落としてい
こうという節約原理に基づいた姿勢をもったわけだね」
 そう、このオッカムの姿勢は、近代自然科学成立の基礎を築い
たと言えるわけだったよね。
 シニョール呟き尾形。
『そうですね。
 また、オッカムは、神や故人の遺志を重視し、合理的秩序より、
個物を優先させる主意主義は、オッカムによって、頂点に達した
とも言われています。
 このオッカムの哲学は、知的に理解される合理的秩序を重視す
る主知主義にたいし、オッカムの見解は、過激だったと言えるで
しょう』
「たしか、オッカムの主張は、個物は相互に共通点を持たなくて、
本当に存在するものは、個々の事物のみで、すべてがユニークで
あると考えたんだったよね。
『そうですね。認識と呼べるのは、個物についての直観だけだと
オッカムは考えたのでした』
「そして、オッカムは、普遍的な本質や概念があるから、一人一
人の個人を、大きな枠で人間と抽象的に分類するのは、多くの個
人に、人間という名称があるのにすぎないと主張したんだよね」
『そうですね』
「で、オッカムは、真に存在するものは、個々の事物のみとし、
いわゆる普遍は、記号もしくは、名辞にすぎないと考えたんだよね。
 つまり、普遍的な物っていうのは、全部記号とか表現であって、
真に存在するものじゃないってことだね」
『ちなみに、記号には、習慣に基づくものと自然に基づくものが
あります』
「習慣に基づくものは、いわゆる名詞などにあるような名前や、
書かれたりする言葉は習慣的な記号で、自然に基づくものはいわ
ゆる感嘆詞だったよね。
 そして、オッカムは、概念は事物を示す自然的な記号だと考え
たんだよね。
で、記号がただ一つの事物の記号であるときは固体概念であり、
多くの事物の記号であるときは、普遍概念であると考えたんだっ
たよね。
 それで、固体概念っていうのは、自身の性質や規定をもって、
他とは区別される単一固有の独自の存在について、考によって捉
えられたり表現される時のイメージになるんだよね。
 普遍概念は、ウサギや人といったような、固有のものではなく、
その記号や名辞が多くの個体を指す場合の概念だったよね。
 オッカムの唯名論によって、これまでの実在論の上に築かれた、
神の存在の証明といった、キリスト教的軽視上学的理論は、論証
不可能な説として単なる信仰の領域へと追いやられちゃったんだ
よね」
 知と信の分離だね、ムーシコス君。
「うん、主意主義の観点から考えれば、神は、絶対の自由意思を
持つことになって、神を知的に分析しようとすること自体、矛盾
しているってオッカムは指摘したんだよね。
 つまり、オッカムは、神は人間の知性をはるかにうわまわって
いるわけで、人間が神のすべてを分析できない以上、人間が知的
に分析することは不適切だって考えたんだよね」
『そうですね。
 つまり、オッカムは、信仰と学問を混在させるのではなく、信
仰は信仰、学問は学問として分けて考えるべきだと指摘したわけ
です』
《ふに、どういうことなのだ?( ̄0 ̄?)》
「学問は天上の神じゃなくて、地上の自然現象を研究することに
限定されていて、天上の神が学問の研究対象であるはずがない。
 ってオッカムは主張したんだってさ」
 それじゃ、アルデベルチ。 


 
 
 

★★★

      前へ         次へ      ・      

質問、感想などは 、呟き尾形の哲学講座 掲示板に書き込みしください。

 

目次へ戻ろう