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呟き尾形の哲学講座
第129回 中世哲学 神秘思想 エックハルト
 神への突破  2

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回までは神の慰めだったけど、何も必要以上のことを望ま
ないことで、
はじめて、神様からの恩恵に気がつけるってことだったよね」
《なんにも願い事がないなんてつまんないのだ(゚Д゚)ノ》
『エックハルトは、神と考えられるもの、それは真の神では
ないと言いま
した』
「それっておかしくない?」
『いえいえ、たとえば、目の前にリンゴがあったとします。
 このリンゴのことを思い浮かべてみてください』
《真っ赤でおいしーリンゴなのだ(☆¬☆)》
 う〜ん、そうかなー、ちょっと酸っぱそうだよ。めぐたん。
『では、このリンゴを食べてみてください』
《おもったほどおいしくないのだ(>_< )》
 あ、意外とおいしね。シニョール呟き尾形。
『このように、思い浮かべる考えたリンゴとリンゴそのものは違うという
ことですね』
「じゃぁ、神様はそんなにすごい存在じゃないってこと?」
『あ、いえ、これはたまたまです。
 今回の例は、考えて思い浮かべたリンゴとリンゴそのものは同じではない
ということの例にすぎません』
「あ、そういうことか」
『また、考えが消えれば考えられた神は消えてしまうわけで、人が考えるか
どうかで、存在したり消えてしまう神というのは、真の神とはいえないで
しょう』
「本物なら、考えようが考えまいが存在するはずだものね」
『そうですね。
 さて、エックハルトが神と神性を分けて考えていたそうです』
《ふに、どーちがうのだ?( ̄、 ̄?)ハテナ?》
『神は三位一体という形を有しますが、神性が、神をそのようにあらしめ
ているものということです』
 神の本質ってことだね。シニョール呟き尾形。
『そうとも言えますね。
 さて、エックハルトは、この神の本質を神性としての無と表現します』
「え? 無なの?」
『エックハルトは有として形ある神は突破されなくてはならないと考え
ました』
《ふに、なんで突破されないといけないのだ?(?_?)》
『私たち不完全な人間の周りにある有は、いつかは壊れてしまう不完全な
ものです。
 それに対して、神は純粋な有であり続けるべきなので、むしろ、神性
という無であるとエックハルトは考えました』
 う〜ん、逆説的だけど、完全な有ということは、人間の通常の認識では
なかなか認識できない有だってことだね。シニョール呟き尾形。
「そっか、だから、無に徹する必要があるんだね。」
『そうですね。
 エックハルトは一切の神イメージを持つことから脱し、神と合一した自
己をも捨てた究極の無を目指すべきだと考えたわけです』
 それじゃ、アルデベルチ。 

 



 
 
 

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