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呟き尾形の哲学講座 
第141回 中世哲学 ルネッサンスの人文思想
君主論

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回は、マキャベリの理論についての話だったよね」
 そうだったね。で、その中で君主論というのがでてきたね。
シニョール呟き尾形
《クンシラン?(; ̄ー ̄)...ン?》
 君主論だよ、めぐたん。
 クンシランは、クンシラン(君子蘭)はヒガンバナ科クンシ
ラン属の植物の総称で、肉厚の葉とオレンジ色の花を楽しむ園
芸植物のことだよ。
『それはそれとして、本題にもどり、マキャベリの君主論につ
いてお話しましょう。
 まず、マキャベリは君主論の中で、国を統治するためには、
最終的に、力の行使が必要だと主張しました』
《ふに、ランボーなのだΣ( ̄皿 ̄;;》
 でも、政治の場合は、力関係は絶対出てくるからね。
『そうですね。どうしても、弱肉強食的なものがありますか
らね』
《焼肉定食?Σ( ̄◇||||)エッ??》
 弱肉強食だよめぐたん。
 弱者が強者のえじきとなること。強者が弱者を思うままに
滅して栄えることだね。
『弱肉強食・・・確かにその通りですね。
 マキャベリは君主のとるべき術策として、ライオンの力と
狐の狡智が必要だと主張します。たとえ、徳性はなくても、
徳性あるふりをし、信義や約束は必ずしも守る必要はないと
しました』
「なんだか卑怯に感じちゃうね」
『それでも、マキャベリは、政治の現実を冷厳に見詰めまし
た。
 そして、マキャベリの君主論は、政治をキリスト教的モラ
ルから解放したのです』
《それじゃぁ、野蛮人じゃないか》
『いえいえ、マキャベリの君主論は当時の政治を既存のキリ
スト教的モラルから解放した一方で、国家そのものに倫理的
価値を与えたのです』
「どういうこと?」
『先ほども言いましたが、たとえ、徳性はなくても、徳性あ
るふりをするということです。
 これは、常に、信義や約束を常に敗れということではあり
ません。むしろ、徳性のありふりをしなければいけないので、
基本的には、信義や約束をまもるようにし、信義や約束によっ
て、四部五裂で内憂外患に苦しむよりは、強力な統一国家の
樹立こそ急務とする政治観をマキャベリの君主論はしめして
いるのです』
「そっか。徳性があるふりをするってことは、意図的に徳性
があるようにふるまわなくちゃいけないから、常に倫理観を
意識しておかなくちゃいけないんだね」
《よくわからないのだ》
 たとえば、いい子のふりをするためには、こんなのがいい
子の行動だってことを意識していないとできないよね。
 その意識する事柄が一種の倫理観で、いい子のふりをし続
ける限り、倫理観に従わなくちゃいけないという一種の自律
をうまれるってことさ。
《ややこしいけど、野蛮人にはできそうもないな》
『君主論は当日の君主に衝撃をあたえ、目的のためには手段
を選ばない権謀術数主義として、マキャベリズムという言葉
が生まれた。
 このマキャベリズムは現代の政治にも通用するほど高く評
価されています』
 それじゃ、アルデベルチ。

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