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呟き尾形の哲学講座 
第144回 近世哲学 合理論や経験論の誕生

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回は近代哲学についての話だったよね」
『ええ、前回は近世哲学が、協会の束縛からの解放したことを
お話しました』
 たしか、中世神学がかけた制限が、ルネッサンスやらなにやら
で、近世の人々の知的な希求や好奇心がまさり、哲学を進める上
で、中世的な秩序が崩壊したんだよね、シニョール呟き尾形。
『そうですね』
「そうそう、近世哲学は、科学的な観察は精確な数学とという言語
で表現することが大切にされていたんだよね」
『はい。おっしゃる通りです』
《ふに、クニークルスもムーシコスも博学なのだ(◎o◎)》
『前回のおさらいですからね。
 さて、近世と呼ばれる17世紀は、戦争や疫病によって、人口
が大きく減少するヨーロッパの危機の時代でした。
 このころに生まれたのは合理論だったのです』
《ゴリラのリンゴ?(〇Д◎ノ)ノエエッ!!》
 合理論だよ、めぐたん。
 一般的には、合理主義って言われることが多いみたいだけれども、
感覚を介した経験よりも、客観的な理性的認識だけを真の認識とす
る立場なんだけど、そういうことでいいのかな、シニョール呟き尾
形。
『そんなところです。
 さて、中世哲学は、元となったギリシア哲学の人間をも包み込む
自然をベースにした、人間や世界の存在の根拠である神を前提に展開
されました。
 それに対して、近世哲学は、後日紹介しますが、デカルトに始まる
合理論は、理詰めの論証によってすべてを説明する哲学システムを作
ろうとします』
「つまり、論証による説明が基準だったということ?」
『そうですね。近世哲学では、論証を行う認識主体、つまり自我を基
準とした存在論を基盤にして哲学が発展したといえるでしょう。
 ただ、デカルトの哲学は、多くの問題が含まれていました。
 そうした問題を批判する中で、他の哲学者、ポッブスやスピノザの
哲学がうまれます。
 近代と呼ばれる17世紀後半から18世紀は、人々の啓発をはかる
啓蒙の時代だったといえるでしょう。
 この時代は、理詰めの論証より、認識を重視するために経験に力点
を持たせた経験論の流れが生まれ、その流れは、やがて理性そのもの
を批判するようになり、理性を否定するべきかという議論にまで発展
していきます』
《なんか、ほんまつてんとーに思えるのだ(;`O´)o<

 まぁ、そこに至るまでの経緯があるんだろうね。
『そんな中、新大陸であるアメリカから搾取された貴金属によって、
貨幣経済が盛んとなり、商人など、一般市民が経済力をもってくると、
新たな社会の捉え方を模索する、社会契約論が生まれたのも、近代哲
学の時代です いってしまえば、近代哲学とは、人間が主体となる哲
学だといえるでしょう』
「えっと、ということは、近代哲学の特徴として、 キリスト教から
の理性の独立になって、 自我を基準とした存在論が構築されて、
 認識論を重視
 というものがあげられる。
 それじゃ、アルデベルチ。

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