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呟き尾形の哲学講座 
第148回 近世哲学 モンテーニュ まとめ

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
【こんにちわ〜。フォルスですよぉ〜】
「フォルスがいるということは・・・」
《モンテーニュもまとめになったのだな( ´∀`)》
『はい。
 今回は、モンテーニュのまとめをしたいと思います』
【それでは〜、モラリストのモンテーニュを紹介したいと思い
ますよぉ。
 モラリストは、現実の人間を洞察し、人間の生き方を探求し、
それを断章形式や箴言のような独特の非連続的な文章で綴り続
けた人の事ですねぇ
 ではぁ、モンテーニュは、ミシェル・エケム・ド・モンテー
ニュという名前で16世紀ルネサンス期のフランスを代表する人
文主義者で、随筆家、哲学者ですねぇ。
 ペリゴール地方の、ボルドーに近いモンテーニュ城で生ま
れましたよぉ。
 モンテーニュの実家は裕福で、商業を営んでいましたねぇ。
 モンテーニュの父親は政治にも熱心で、 父は政治にも熱心
でボルドーの市長を務めたことがあるそうですよぉ。
 モンテーニュは6歳になるまで、家庭教師のもと専らラテン語
を用いて育てられたましたねぇ。
 その後、トゥールーズで法学を学び、フランスの法官になり、
1557年、ボルドーの高等裁判所に務めていたときに、人文主義
者エティエンヌ・ド・ラ・ボエティーと親しくなりました。
 その後、エティエンヌは1563年に死去したため、モンテーニュ
は深い悲しみに沈んだそうですねぇ。
 その後、モンテーニュは、結婚し、6人の娘が生まれたものの、
そのうち成人したのは1人でしたねぇ
 当時は、生き残ること自体難しかったということでしょうかねぇ。
 さて、1568年、父の死によりモンテーニュ城を相続し、37歳で
法官を辞任して故郷に戻り、やがてエセー、随筆執筆を始めました
よぉ。
 法官辞任後、カトリックのシャルル9世、アンリ3世から非常勤職
の侍従に任ぜられる一方、1577年にはプロテスタントのナヴァール
公アンリ後のアンリ4世の侍従にも任ぜられますねぇ。
 さて、モンテーニュの時代は、カトリックとプロテスタントは、
フランス宗教戦争の時代にあって、モンテーニュはローマ・カトリッ
クの立場でしたねぇ。
 しかし、モンテーニュはプロテスタントにも人脈を持ち、穏健派と
して両派の融和に努めましたそうですよぉ。
 そして、モンテーニュはフランス宗教戦争を収拾したのちアンリ4
世の出仕の勧めも辞退して城館で没しましたんですよぉ。
 モンテーニュの哲学は、合理主義と中庸を重んじ、最初のモラリス
トとして、フランスのみならず、各国に影響を与えたと言われていま
すよぉ
 さて、モンテーニュは、随筆録をエッセイと最初になずけた人物で
すねぇ。
 『モンテーニュは1580年から1581年にかけてフランス、ドイツ、オー
ストリア、スイスを経てイタリアに旅し、さまざまなエピソードや都
市ごとの宗教的な違いを詳細に記しましたよぉ。
 エセーは、体系的な哲学書ではなく、自分自身の経験や古典の引用
を元にした考察を語っていますねぇ。
 モンテーニュは、エセーを折に触れて書きとどめた個人的な考察を、
知的実験の報告と位置付けましたねぇ。
 さて、モンテーニュのエセーが特別注目された理由は、大きく二つ
あるといわれていますねぇ。
 一つは、当時の時代背景がかかわってきますが、ユグノー戦争です
ねぇ。
 もう一つは、ルネサンスや交通の発達などにより、人々は自分の価
値観を見直す必要に迫られていたこがあげられますよぉ。
 ユグノー戦争は、1562年より98年にかけてフランスに起こったカト
リック派とプロテスタント派の武力抗争のことで、当時フランスのカ
ルバン派は、カトリックからユグノーと呼ばれていたことからユグノー
戦争だと呼ばれていましたねぇ。
 ユグノー戦争という宗教戦争は、当時のヨーロッパの価値基準の根
幹であるキリスト教のカトリック派とプロテスタント派が武力戦争す
ることによって、人々の価値観が揺らぐのに加え、そうした中で寛容
の精神に立ち、正義を振りかざしても、多くの人は信頼はできなかっ
たんですねぇ
 そんな混迷の中、モンテーニュのエセーが注目されたわけですねぇ。
 また、後の哲学者、17世紀のデカルトやパスカルにも多大な影響を
与えたといわれていますねぇ
 次に、モンテーニュを語る上での重要なキーワードは、クセジュ
というものがあります。
 クセジュとは、
 わたしは何を知っているだろうか? を意味するフランス語の表現
ですねぇ
 モンテーニュは、故郷に隠遁し、エセーのなかで、ドグマという教義
や独断から自由にありのままの人間を見つめたんですねぇ。
 これは、殆どの人は、褒められることもないわけで、いらいらしてい
るときにどんなに正論をいっても、理不尽な怒りを感じるというところ
ですねぇ
 人は、そうした葛藤の中で生き続けるものですねぇ。
 モンテーニュのエセーの鋭い考察の中でも、クセジュ=私は何を知っ
ているのか? という自問は群を抜いて鋭いものでしたねぇ。
 クセジュという概念は、モンテーニュの姿勢があらわれていますねぇ。
 たとえば、感覚的な認識も知覚的な認識も確実と言うには確実性に欠
けますねぇ。
 なぜなら、人の感覚と言うものは、非常にあいまいなもので、印象や
その時の感情によって変化します。知覚もまた、知覚する前後の体験や
先入観で相対的なものになりますねぇ。
 また、価値判断も相対的なものになってしまいますよぉ。
 こうしたあいまいなものを基準にするよりも、絶対的真理が必要であ
り、モンテーニュは、クセジュという自問に込めましたねぇ。
 いま、自分自身が認識しているものは、主観的な感覚や知覚、および
相対的な価値判断ではないことを確認する意味で、クセジュという概念
が必要なんですねぇ。
 クセジュによって、私は何を知っているのか? と改めて問い直すこ
とで、絶対的な真理を見出していこうとするわけですよぉ】
 なるほどねぇ。
 それじゃ、アルデベルチ。

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