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呟き尾形の哲学講座 
第151回 近世哲学 パスカル 人間は考える葦である 1

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回までは、パスカルのあゆみについてだったよね」
『はい。今回から、パスカルの哲学についておはなししたいと
おもいます。
 まず、パスカルは、神との主体的な出会いを重んじました』
《ふに、シュタイテキ?Σ(?_?)》
 主体的というのは、自分の意志や判断に基づいて行動するさ
まだね。
「つまり、自分の意志で神様と出あうってこと?」
『そうですね。
 つまり、神様に対して、受け身であるのではなく、自らの意
思で、神様の教えを理解するという意味で解釈していいでしょ
う。
 もちろん、パスカルは、理性に関係する特定の分野でのそれ
なりの成果は認めています。
 しかし、神の愛の大きな秩序の元では、理性の秩序が空しい
ものであることを指摘しました』
「えっと、人間の理性は理性で成果はあるけれど、神様の愛と
比べれば、それほどでもないってことかな?」
『そうですね。
 さらに、パスカルは、哲学を嘲り批判することこそが、本当
に哲学することだとも述べています』
《ふに、哲学をべんきょーする人が、そんな哲学を馬鹿にする
ようなことをを言っていいのか?Σ( ̄◇||||)エッ??》
『いえいえ、パスカルは哲学を馬鹿にしたのではなく、むしろ、
哲学に誠実であろうとしたのです』
「どういうこと?」
『哲学に限らず、どのような学問は常に真実にむかって追究し
ていくべきです』
 たしかにそうだよね。
『哲学が真実に向かって追究するためには、1つの答えを見つ
けて満足してしまうのではなく、むしろ、先人の哲学の出した
答えに満足してしまったのでは、先人の哲学を引き継ぐことは
できません。
 むしろ、先人の哲学のだした答えに向かって問い続けること
が必要だとパスカルは考えました』
「そっか、答えは覚えちゃえばそれでおわるものね」
 でも、どんなにすごい答えがあっても、それを批判する気持
ちをもって考えることで、哲学がさらに進むわけだね。
 シニョール呟き尾形。
《そんなものなのか〜(´0`) =3》
『はい。
 このパスカルの哲学に対する態度は、有名な人間は考える葦
である。
 と言う言葉に良くあらわれています』
《ふに、人間は頭で考えるんだから、足では考えられない
ぞΣ(- -ノ)ノ》
 えっと、
 葦は、イネ科の多年草だよ。
 考える葦というのは、人間のたとえだね。めぐたん。
『そうですね。
 パスカルは、人間は考える葦であると言う言葉で、人間は自然
の中でもっとも弱い一本の葦みたいなものだが、それは考えると
いう能力をもった存在だということを言い表しました』
「なんだか、哲学として意味が不可そうだね」
『それは、次回にお話しましょう』
 それじゃ、アルデベルチ。

★★★


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