ホーム > 目次 > 呟き尾形の哲学講座 


呟き尾形の哲学講座 
第152回 近世哲学 パスカル 人間は考える葦である 2

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回は、人間は考える葦であるについてだったよね」
『そうですね。
パスカルは、人間は考える葦であると言う言葉で、人間は自然
の中でもっとも弱い一本の葦みたいなものだが、それは考えると
いう能力をもった存在だということを言い表しました』
《ふに、人は強いものなのだ!( `皿´)-o》
『パスカルは、ただ単純に、人間は弱いと言いたかったのでは
なく、人間は考える葦であるという言葉を通して、人間は自然
の中では矮小な生き物にすぎないが、考えることによって宇宙
を超えると伝えたかったのです。
 それは人間に無限の可能性を認めると同時に、一方では無限
の中の消えゆく小粒子である人間の有限性をも受け入れている
ことを意味します。
 パスカルにとって人間とは天使でも悪魔でもありません。
 むしろ、人間は自然の内で最も弱い一茎の葦に過ぎないの
ですが、それは考える葦ということばで表現したのです。
 これは、パスカルの哲学者としての宣言といってもいいで
しょう』
「葦から宇宙というのはすごい発想だね」
 それだけ、思慮深く考えられた言葉ってことだね。ムーシコ
ス君。
《でも、なんでアシなのだ?(#^ω^)?》
『まず、葦が弱い者の代表として人間の比喩にとりあげられて
いるわけですが、何故葦だったのかというと、他の小さい生物、
たとえば蟻や、弱い魚である鰯、はたまたもっと弱そうな植物
でもよかったではないかとおもえそうですが、それでも、人間
が葦であるということの比喩は、明確な記録は残されていませ
ん』
「じゃぁ、わからないってこと?」
『はっきり正しいと断言はできませんが、ナイルの河畔に生え
る葦になぞられられているかもしれません』
《どういうことなのだ?(◎_◎) ン》
『ナイルの葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって
一見、敗北しているように見えます』
 樫の樹とかの大木は、風が吹いてもしなることもないし、風
に抵抗できているから、風に勝利しているってところかな。
『そうですね
 しかし、葦は、嵐による強い風であっても、風に身を任せし
なりますが、大木はどうでしょう?』
「あんまり強い風だとおれちゃうかも」
《葦もそうじゃないのか?(・_・?)》
『一見屈服したように見えますが、風がやむと、徐々に身を起
こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れ
ているということが、人間への比喩であると言い得るでしょう』
 それじゃ、アルデベルチ。

 
★★★


   前へ         次へ      

質問、感想などは 、呟き尾形の哲学講座 掲示板に書き込みしください。

 

目次へ戻ろう