ホーム > 目次 > 呟き尾形の哲学講座 


呟き尾形の哲学講座 
第157回 近世哲学 パスカル 宗教家 パスカル 4

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回は、人間は考える葦であるについてだったよね」
《やっぱり、考えるってことが大事なのだな(*^日^*)゛》
『たしかに、そうした意味もありますが、単に考える
ということの重要性を説いただけではありません。
 宗教家としてのパスカルは、非常に宗教的意味合い
の強い言葉だとも言い得ます』
「どういうこと?」
『パスカルの人間は考える葦であると言う言葉は、新約聖書
に於いてイエスが群衆に向かって言った、ある言葉を念頭に
置いているのではないかと言う解釈があります』
《シンヤクセーショ?(?_?)σ
 皆で歌を歌うのか?(〜^^)〜♪♪》
 新約聖書だよ、めぐたん。
 キリスト教の聖典である聖書のうち、キリスト誕生後の神
の啓示を記したものだよ、めぐたん。
 そのうち、イエス=キリストの生涯と言行を記した福音書、
弟子たちの伝道記録である使徒行伝、使徒たちの書簡、黙示録
とかがあるんだよ。
「で、パスカルはどんなことばを念頭にいれていたと解釈され
ていたの?」
『”汝らは何を見ようとして野に出て来たのか。風に揺らぐ葦
であるのか”というものです』
《どーゆーいみなのだ?(; ̄ー ̄)...ン?》
『これは群集が洗礼者ヨハネよりも、ただ風に揺らぐ取るに足
らない葦を気にしている状態を、イエスが嗜めた場面です。
 ここで言われる葦は、野に生えているとるに足らぬもの、と
いう意味です。
 そういう取るのたらない葦に比べて、バプテスマのヨハネは、
なんと大きな存在であることか。いう、小さな存在としての葦
を例えに出しました。
 そんなイエスは、さらにいいます。天国で最も小さい者も彼
よりは大きいとつけ加えたのです。
「それって、一本の葦はますます小さな、とるに足らない存在っ
てことじゃない?」
『その通りです。
 人間は考える葦であるという言葉は、パスカルが熱心な宗教
家であったからこそ、これを意識して“葦”という言葉を使っ
たのではないかという解釈されることがあります。
 それじゃ、アルデベルチ。
★★★


     前へ      次へ     

質問、感想などは 、呟き尾形の哲学講座 掲示板に書き込みしください。

 

目次へ戻ろう