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呟き尾形の哲学講座 
第165回 近世哲学 デカルト 思想の領域における人権宣言

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回でデカルトのあゆみについて話したけど今回からデカルトの哲学についてだよね」
『はい。
 デカルトは、デカルト以前の哲学は、思想の領域における人権についての問題が語られていないと指摘しました』
《なんの事件なのだ?(○_○)》
 人権だよ、めぐたん。
 人間が人間として当然に持っている権利のことで、よく基本的人権とよばれているものだね。
「えっと、基本的人権っていうと、すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利というやつだよね」
『はい。人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持っている権利ともいわれていますが、デカルトは既存の哲学には、こうし
た人権の視点が存在しないことを指摘します。
 つまり、従来の哲学という物の見方や考え方では、人権については哲学的に考察できないと考えました。
 ですから、物の見方や考え方を一度捨て、人間が確実に知り得るものは何かを再検討し、その上でこの問題について考察しました。
 こうした人間の認識能力の考察は認識論と呼ばれています』
《ふに、どんなふーにしたのだ?( ̄、 ̄?)ハテナ?》
『デカルトは、数学の計算式という理性と自然現象という感覚との奇妙な平行関係を、認識論的に解明しようとしました』
「現代だとそんなに奇妙ってわけでもないんじゃない?」
『自然現象を対象とする自然科学への数学の適用可能性を認識論的に検討し、感覚に基づく自然科学が、理性に基づく数学と合体し、
精密な数学的自然科学になり得ることを証明するという行為は現代では当たり前かもしれませんが、そうした試みをしていなかった時代にとっては、まさに奇妙な関係と言わざるを得ないわけです。
 もちろん、当時は殆どの人はそうした理性と感覚の関係については、考えていなかったので、奇妙と感じることもなかったかもしれません』
「えっとつまり、それを奇妙と感じたデカルトは自然現象を超えて、別のものを設定していたってことかな」
『デカルトが考えたのは、数学的自然科学であり、数学的に表現可能な理性的世界・数学的な質点と座標によって表現できると考えたからこそ、そうした試みをしたのでしょうね』
 それじゃ、アルデベルチ。

★★★


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