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呟き尾形の哲学講座 
第167回 近世哲学 デカルト 方法的懐疑 2

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「前回は、デカルトは、数学的自然科学であり、数学的に表現可能な理性的世界・数学的な質点と座標によって表現できると考えたことについてのはなしだったよね」
『はい、このことは・・・』
《むぎゅー(>△<) 3
 わっかんないのだ!( `皿´)-o》
 まぁ、あれさ、めぐたん。
 まどろっこしいいい方だけど、単純にいえば、世界は数学的に説明できる。
 ってことさ。
《だったら、わかるけど、最初からそーいえばいいのだ(゚Д゚)ノ》
『それだと、説明が少なすぎることになり、誤解を生むということになるのが、説明が回りくどいようないい方になるのかもしれませんね。
 世界は数学的に説明できるだけだと、ある人は、世界中のすべてのものに数字がふってあるのだと誤解するかもしれませんし、純粋に数学だけで世界を説明しようとするかもしれません』
「顔文字みたいに数字で組み立てられてるとか」
 はは、さすがにそれはないよ、ムーシコス君・・・
《・・・(¬_¬)》
「えっと・・・、それはさておき、やっぱり、誤解がないように言うって大切なんだね」
『そうですね。
 さて、この時、デカルトは方法的懐疑というものを提案します』
《ほーほーてきかいぎって、フクロウの会議か?ヾ(@^▽^@)ノ》
 方法的懐疑だよ。めぐたん。
 少しでも疑いうるものはすべて偽りとみなしたうえで、まったく疑いえない絶対に確実なものが残らないかどうかを探る態度だね。
『そうですね。
 少しでも疑えるものというのは、偏見や先入観、あるいは真実らしく見えるが不確実なものなどをすべてです。
 それらを、疑うに足るものとして排し、この徹底した懐疑を通して真理をあぶり出すという真理を見つけ出す方法が方法的懐疑です』
「でも、普通、僕らが感じる感覚とかは疑えないものなんじゃないの?」
『デカルトは、実際に感じる感覚は必ずしも信頼できモノではないと考えています
 なぜなら、感覚は時として事実と異なる認識を打ち出すことがあるからです』
「勘違いってこと?」
『それもあります。
 また、夢を観ている時、多くの人は、本当に自分が夢を体験していると思い込んでいることもあります。つまり、思い込みでいくらでも、事実と異なる感覚を感じることができるのです』
 覚めた時の感覚と夢を見ている時の感覚は、感覚と言う意味でおなじってことだね、シニョール呟き尾形。
《それはちょっと、おかしくないか?(◎−◎)
 起きている時と寝てる時を同じにするなんてΣ(○ロ○)》
『デカルトは、覚醒状態と夢を区別する特徴などないと考えたのです』
「実際、そういうことあるものね。
 起きている時だって、何かに夢中になっていれば、怪我しても痛いと感じないこともあるし、思い込みで、料理は美味しく感じたり、まずく感じることもあるものね」
 それじゃ、アルデベルチ。

★★★


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