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呟き尾形の哲学講座 
第168回 近世哲学 デカルト 方法的懐疑 3

 

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は方法的懐疑についてだったよね」
『はい。方法的懐疑の特徴は2つあります』
《ふに、一つ目はなんだのだ?(; ̄ー ̄)...ン?》
『1つ目は懐疑を抱く事に本人が意識的・仮定的である事です』
 えっと、信じることよりも懐疑することを目的にするって
こと?
『そうですね。まず、疑うという目で見ることですね』
「二つ目は?」
『2つ目は一度でも惑いが生じたものならば、すなわち少しでも
疑わしければ、それを完全に排除する事です』
《なんか、極端じゃないのか?(-_-;)(;-_-)》
 方法的懐疑というのは、積極的に疑うことだってことだね。
「そんな風に、なんでもかんでも疑っちゃえば、確実なもの
なんてないんじゃない」
『まさにその通りです。
 強引に何事も疑うと言う強力な方法的懐疑は、もう、何も
確実ではないと思えるところまで続けます』
《じゃぁ、体が痛いのは疑えないな★(* ^ー゜)ノ》
『いいえ、痛み、つまり、肉体の与える感覚は、しばしば間違
う事があります』
《そんなことあるわけがないのだΨ( ̄∇ ̄)Ψワッハッハ〜♪》
 めぐたん、あついおちゃどーぞ。
 わわ、こぼしちゃった
《わわわー。熱いじゃないか・・・って冷たい( ̄◇||||)エッ?》
「感覚は間違えることがあるね。
 それに、実際、外的感覚と思えているものは、もしかしたら、
夢を見ているだけかもしれないものね」
 つまり、体が痛いというもの、外的感覚だから、方法的懐疑に
おいては、疑えることだね。ムーシコス君、めぐたん。
《間違っていない方が多いじゃないか!(`皿´)ムキー!》
『方法的懐疑は、絶対に確実なものを探す手法です。
 ですから、疑いうるものはなんでも疑います』
《じゃぁ、算数とかの計算もか?・・・(;¬_¬)》
『はい。
 今、正しいと思っている知識も、後になって間違いだったという
発見がある可能性がある限り例外ではありません。
 計算も、間違う可能性があります』
「1+1=2 って間違いようが無いんじゃない?」
『算数による計算も、あくまで、公理や前提が正しいという前提で
成り立ちます。
 逆を言えば、公理や前提を疑った瞬間、計算は成立しなくなりま
す』
 なんか、極端だなぁ。シニョール呟き尾形。
『そういう極端さがデカルトの哲学を構築したと言えるでしょう。
 その極端な方法によって、真実が明らかにできるわけです』
 それじゃ、アルデベルチ。



 
★★★


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