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呟き尾形の哲学講座 
第170回 近世哲学 デカルト 方法的懐疑 5

 

 

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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★★
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
『こんにちわ。呟き尾形です』
「今回は方法的懐疑についてだったよね」
『はい。デカルトの方法的懐疑は、数学も偽りと疑いました』
《ふに、やっぱり、すうがくはまちがいだったのだな。
 ふふ、めぐたんの勘に間違いはなかったのだ!
 ( ̄ー ̄(_ _( ̄ー ̄(_ _ ウンウン》
 違うと思うよ、めぐたん。
「えっと、なぜ、デカルトは数学を偽りだと疑ったの?」
『デカルトは、幾何学のもっとも単純な問題についてさえ、推理を間違える人々がいることを例に挙げています。
 つまり、だれであろうと、人間であれば、推理を間違える可能性をふくめての判断がありうるということです。
 そして、間違えた推理の上での論証は当然間違えています。
 どんなに正しいとおもえていた論証も、間違えた推理での論証は間違えているわけです。ですから、数学だから正しいという証拠にはなりません。とデカルトは考えたわけです』
「えっと、数学そのものというよりは、数学の論理は人間が導き出した学問で、人間はどんなに簡単な問題に対してさえ、推理を間違えることがある。
 数学は人間が作り出した学問だから、今は正しいと思われていても、将来間違いがみつからも知れないから疑うべき対象だよ、ってことかな」
 少しでも疑う余地があれば、それは真実とはいえないということで、疑うってことだね。シニョール呟き尾形。
『そんなところです。
 方法的懐疑は疑いようの無い真実を見つけ出すためのものですから、ある程度正しい、殆ど正しいではいけません。
 そして、今は正しくても、未来に間違いだと言われる可能性をもっていてもいけないということです。
 そうやって、デカルトは、方法的懐疑によってすべてを偽りとし、世界の内には何ものもなく、天も地も、精神も身体も存在しないと自分自身に説得します』
《じゃぁ、真実なんてどこにもないじゃないのか?( ̄_J ̄)ん?》
『たしかに、デカルトは、方法的懐疑によって、一切の存在を否定しました。しかしながら、デカルトは、それでもその存在を疑い得ないものがただ一つあることを発見したのです』
「感覚も学問も疑えるんなら、なにもないんじゃないかなぁ」
《そーだ、そーだ、メロンソーダ(。・`3´・)ブーブー》
 ダジャレを言うタイミングじゃないよ、めぐたん。
『それは、次回、お話しましょう』
 それじゃ、アルデベルチ。



 
★★★


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