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呟き尾形の哲学講座 
第173回 近世哲学 デカルト 「考える私」

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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
「前回は、コギト・エルゴ・スム、についてだったよね」
 我思う、故に我ありだったね。
『はい。
 コギト・エルゴ・スムによって、デカルトは、絶対確実に存在するとされる考える私の存在、思惟する私というものを確信します』
《シースルー着る私?o(@.@)o 
 スケスケの洋服を切るのが哲学なのか?( ̄◇||||)エッ?》
 思惟する私、だよ、めぐたん。
 つまり、考える自分自身のことだね。
《だったら、そーゆえばいいのだ(o−Д−) 》
「いってるじゃない」
『それはさておき、デカルトは、考える私とは実体という言葉をつかい、説明しています』
「実体って、アリストテレスの時に聞いた時あるな」
 他の何かに依存せず、それ自身で存在するものってところかな。
 ムーシコス君。
『そうですね。そうした実体は他の何物にも依存することなく、どんなに表面の変化の元にあり、変化の元から支え、それ自体で、存在する基礎となるもの、自存者であるということです』
《じぞうしゃ(´-`).。oO(フ〜ン
 お地蔵さんなのだな(^u^)♪》
 自存者だよ、めぐたん。
  他の力に頼らず自らの力で生存している者ってことかな。
『そうですね。
 デカルトは、自分とは何であるかを注意深く吟味し、自分がいかなる身体も持たないと仮定することができ、また自分がその中で存在するいかなる世界も、いかなる場所も存在しないと仮定することはできると述べました』
「えっと、とりあえず、仮定として、自分は体が無いと仮定することもできるし、自分が世界に存在しないと仮定もできるし、どこにもいないと仮定できるってことだよね」
『はい、その通りです。
 しかし、だらからといって私がまったく存在しないと仮定することはできません』
《なんでなのだ?(゜Д゜)・・・・・・??》
『どんな仮定をしようとも、疑うという考えること自体が、自分が存在するということがはっきりと確実に帰結します』
「どんな仮定をしても、必ず、疑う自分がいるってことだね」
《でもでも、あきて、考えるのやめたらどーなのだ?・・・(;¬_¬)》
『その通りです。考えること事態をやめたとすれば、自分を認識することもできないし、自分という根拠を持つことができないと、いえるかもしれません。
 しかし、デカルトは考えると言うことから自分と言うものは一つの実体であって、自分と言う実体の本質は、考えると言うことだということです。
 そして、このような実体が存在する為には、場所も物質的なものにたよらない、つまり、自分を自分とたらしめている精神は、身体とはまったく別個のものであり、身体よりもはるかに容易に認識されるものとして、思考する精神はとまることはないということだとデカルトは考えました』
「人は考えることを止めることはできないってことだね」
『そうですね。
 デカルトは、自分と言う実体は、身体や世界に存在しないと仮定してもその仮定すると考えること自体が自分の実体であり、その本質は思考する精神だと言うことです。
 この絶対確実な考える自分が世界を認識するからこそ、世界は存在すると考えました』
 それじゃ、アルデベルチ。



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