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呟き尾形の哲学講座 
第179回 近世哲学 デカルト  神の存在証明 3

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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
「前回はデカルトの神の存在証明についてだったよね。
 方法的懐疑で、コギトエルゴスム、疑いようのない自分自身の自我が明晰判明に知られることは正しいこととする。その中で人間は、神の完全性の概念を明晰判明に知られている。
 神の完全性の概念は、神の完全性を疑うことは絶対にできないから神の存在する。
 というのがデカルトの神の存在証明だったよね」
『そうですね。
 人間が完全ではないのに神の完全と言う観念が存在するということは、矛盾します』
「どうして?」
『存在しないものなら概念そのものが存在し得ないからです』
 概念とは、ある事物の概括的で大まかな意味内容だから、存在しないなら認識できない、つまり存在していないものについて、概念を持ちえないってことだね、シニョール呟き尾形
『はい、その通りです。
 神の完全と言う概念がある以上、人間以上の存在が必要不可欠になるそれが神であるということですね』
《なんだか、狐にだまされているような気分なのだ( `д´)》
 たぶん、めぐたんのイメージする神様とデカルトが証明しようとする神様は、ちがうものだからかもしれないね。
『たしかに、そうかもしれませんね。
 おそらく、めぐたんのイメージする神はきっと、物理的に存在しているものをイメージしているのだと思います』
《ちがうのか?( ̄へ ̄?)
 存在するってことは色とか形にあるんじゃないのか?(◎o◎?)》
『人間を超越した神です。
 人間を超越して、人間の五感では感じられないのかもしれません。
 それに、自分の心は存在すると一人ひとり確信していると思いますが、概念が存在する以上、神という認識は存在する。
 そして、数学が明晰判明であるように、人間は、神の完全性の概念を明晰判明を知っている。
 その意味で、神は存在していると証明できたわけです。
 それは、必ずしも物理的に存在しているわけではありませんし、デカルトが証明した神とめぐたんのイメージする神が同じというわけでもありません』
「たしかに、めぐたんのイメージする神って、めぐたんの漠然としたイメージだろうし、デカルトは神の完全性の概念を明晰判明に知られているがあるからには、めぐたんのイメージというより、その神の概念が共有できるってことだものね。
 で、明晰判明にしられて共有できている神が存在するとのべているんだものね」
『そうですね。
 物理的に存在するのか、心のように物理的には存在しないけれども現象として存在しているのか、そもそも、数学のような理論として存在しているのかについては語られていません。
 ただ、不完全な人間が、完全という概念を持つためには、完全な存在を認識せねばいけません。
 そして、ヨーロッパで、信仰されている神はキリスト教の神であり、聖書と言う形で神の完全性の概念を明晰判明に知られているわけです。
 となれば、完全な存在は存在しているということになり、完全なる神もその完全性に含まれるというのが、デカルトの神の存在証明だということです』
 それじゃ、アルデベルチ。






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