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呟き尾形の哲学講座 
第180回 近世哲学 デカルト  心身合一の問題 1

 

 

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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★★
『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
「前回は神の存在証明についてだったよね」
『今回は、心身合一の問題をお話したいと思います』
《しーしごーいち・・・4451? 電話番号か何かか?( ̄□||||!! エッ…?》
 心身合一だよ、めぐたん。
 心と体が一致するということだね。
「別にそれはあたりまえじゃない?」
『この問題は、デカルトに対して、公女エリーザベトからの書簡において、デカルトは、自身の哲学において実在的に区別される心(精神)と体(延長)が、どのようにして相互作用を起こしうるのか、という質問を受けたことからはじまった問題です』
「どんなところが問題なの?」
『デカルトは心と体の厳格な区別を説いていました。
 精神があり、その延長に体があるということですね』
 デカルトは心身二元論の立場をとっていた、ということだね、シニョール呟き尾形。
《こんどは、しーしーにごろく・・・
44256?(゜Д゜)・・・・・・??》
 心身二元論だよ、めぐたん。
 心と体は明確に区別されるものだっていうことかな。『そうですね。
 その心身二元論の立場をとるデカルトにとって、精神と肉体の関係の問題は、難しい問題でした。
 ところで、アリストテレスは、種が樹木になり、赤子が大人になる葉は自然が目的がもっており、その事実を目指すからであると考えていました。
 アリストテレスのこの考えは、精神と物体を明確に区別するデカルトの心身二元論からすれば、自然が目的をもつということは間違いだと言うことになります』
 自然は人間じゃなくて、物体だからね。シニョール呟き尾形。
『そうですね
「デカルトはどう答えたの?」
『デカルトは、心身合一の次元があることを認めました』
「それは、精神と肉体がそれぞれ独立して存在するってことだろうから、矛盾じゃない?」
 だよね、精神と身体の実在的区別するということは、精神は身体なしで存在し得るわけで、かつ、身体は精神なしで存在し得るわけだからね。
「だよね、だって精神は物質的には存在しないけど、体は物質的に存在するんだから関係の持ちようが無いよね」
『それについては、デカルトは人間を精神と身体とが分かち難く結びついている存在として捉えています。
 つまり、精神が身体とかかわりを持つということです』
《でも、実際は、喉が痛いって説明なくても、喉が病気かなにかってわかるの
だ(・_・)ヾ(^^; オイオイ》
『その通りです。
 現実問題としては、仮に喉が痛いと感じたとすれば、考えるまでもなく喉が痛ければ、喉が不調なのは明らかです。
 デカルトはこの事実に妥協し、日常の生と交わりを行使することによってのみ知られる原始的概念として精神と身体の直接的合一を認め、心身合一を容認したわけです』
 それじゃ、アルデベルチ。



 
★★★


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