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呟き尾形の哲学講座 
第181回 近世哲学 デカルト  心身合一の問題 2

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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
「前回は心身合一の問題についてだったよね」
『今回は、をお話したいと思います』
「えっと、精神と身体が相互作用を起こすってことだよね」
《なんかいわれてみればそーだな(*^-^)》
『デカルトは、生理学的説明だけに留まらず、基本的な情念を驚き、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみの6つに分類した後、自由意志の善用による高邁の心の獲得を説きました』
「えっと、あくまで精神が原因で結果として身体との間に相互作用があるってことかな」
『そうですね。能動としての精神と受動としての身体の関係を認めたわけです』
「でもそれって、精神と身体の区別をする必要がなくなるんじゃない?」
『デカルトとエリーザベトの書簡では、デカルトは哲学の二元性をあくまでも実践的・実際的問題として捉えて、自由意志と神の無限性が論理的には両立しないことを認めています。
 とはいいつつも、先ほど言った通り、自由意志の経験と神の認識が両立の事実を明らかにしていると書いている。
《むむむ、矛盾じゃないか!!!ヽ(`Д´)/》
『そうですね。結論だけ言えば、デカルトは、形而上学的なレベルでは、心身分離のテーゼを堅持し、日常的な生のレベルでは、心身合一のテーゼを是認するのですから、心身合一の問題は解決していないことになります』
「そもそも、日常の生って何なの?」
デカルトは、形而上学的概念や科学的概念では理解できない精神と身体とのかかわりのありかた。
とし、実際に「身をもって」体得するほかない者としました
「じゃぁ、原始的概念は?」
『それ自体が一つの次元をもち、他の次元と区別される概念のこととデカルトは説明します。
 つまり、心身合一の次元、つまり日常の生という物理的な次元をもたせることで心身合一の問題を
解決しようとします』
《どーゆーことなのだ?(; ?_?)》
『つまり、心身合一と心身の二元論は別の次元なので、日常の生という物理的な因果関係からの考察をと、軽視上学的な視点の心身の二元論とは関係を持たないということです。ですから、両立しないことで矛盾することはないと、デカルトは結論付けました』
 それって、数学上の直線は定義できるけど、物理的には直線は、実際直線を書いてみると、数学上の直線とはちがったものになるけれど、別に矛盾はしないよね、ってことかな
『そうですね。心身の実在的区別、つまり、数学の論理的な意味ので精神は身体なしで存在できるし、身体は精神なしで存在できるということがいえます。でも、それは、あくまでも、論理的な意味での分離可能性が論拠であり、実際直線を引いてみて、数学で定義された直線とは同じとはいえないけれども、それを直線とするように、精神と身体が実際の分離するという行為とは別なので、心身合一に矛盾し無いというわけです』
《なんか、狐に騙されている気分なのだ( ̄へ ̄|||) ウーム》
 それじゃ、アルデベルチ。







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