ホーム > 目次 > 呟き尾形の哲学講座 


呟き尾形の哲学講座
 184号  近世哲学 デカルト  神の誠実さ 2

 

 

メルマガ購読・解除
呟き尾形の哲学講座
読者購読規約
>> バックナンバーpowered by まぐまぐ!
 

 

登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
「えっと、前回は、デカルトは、方法的懐疑で、コギト、つまり、私については、疑えば、疑うほど確かな存在としての確信が得られるんだけど、物や数学はそうした明晰判明なよりどころがないということがどうしてか、ってことからだよね
『そうですね。
 まず、人間は事物の認識にしろ、計算にしろ、間違いが生じる可能性は常に付きまといます』
「そっか」
『さらに、人の中にある悪意が自分自身すらだますこともありえるのです』
《じゃーどーするのだ<(▼∀▼)/》
「万物の創造主である神は、人間のの「理性」が、間違いを犯すように創造したはずがないってこと?」
『そうですね。
 神の誠実さを信用すれば、我々は、神によって与えられた理性を正しく使用する限り、間違えることはないということです』
 そこで、デカルトは神の誠実をもちだしました。
 神は完全無欠な存在であるので、神は善意に満ちあふれ、悪意の魔神よりも強力であるのだから、神の誠実によって、私による事物や数学は神が私を欺くはずがないと考えたのです』
「つまり、人間は間違わないってこと?」
『人間はまちがいますが、理性を正しく利用することに間違いはないということです。
 つまり、デカルトは、神の誠実さによって、人間の理性による数学的認識の確実性を証明しようとしたのです』
 つまり、神は私の認識の正しさを保証しているってことだね、
シニョール呟き尾形。
『そうですね。
同様に、神の誠実さの観念によって、物質(物体)の存在の確実性も証明されます』
《ナンデ?(*‘ω‘ *) 》
『なぜなら、神の誠実さを信用すれば、神が万物を無から造り、存在させたことを嘘であると見なすことはできないからです』
《神様は人間が正しいってことにしたのか?(。-`ω-)ンー》
『そうですね。
 疑いようのない私は、神によって与えられた理性を正しく行使し、明晰判明に把握する物体も、確実に存在するとデカルトは述べました』
 ということは、神が存在する証拠は神のイメージの無限で完全な存在があるという考えがあるってこと? シニョール呟き尾形。
『そうですね。
 神の観念、つまり、無限で完全な存在があるという考えが、われわれ人類の中に存在することが証拠になるということです』
「でもでも、人間は無限で完全な存在じゃないから、その観念が正しいっておかしくない?」
『いいえ、そんな、人間は無限で完全ではない存在が、無限で完全な存在である神のことを知っていることが、無限で完全な存在である神が存在しているからこそだとデカルトは考えたのです』
 それじゃ、アルデベルチ。



 
★★★


       前へ       次へ    

質問、感想などは 、呟き尾形の哲学講座 掲示板に書き込みしください。

 

目次へ戻ろう