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呟き尾形の哲学講座 
第185回 近世哲学 物体の本性としての幾何学的世界観 1

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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
「えっと、前回は、デカルトは、神の誠実さについてだったよね」
『今回から、デカルトが考えた物体の観念についてお話ししたいと思います』
 前回は神様についてだったけど、なんか急だね。
『そうでもありません。
 デカルトは、理性が明晰判明に把握することを重視しています。
 その対象が何かよりも、理性が明晰判明に把握することです。
 ヨーロッパの人々にとって、キリスト教の影響もあり、神は身近な存在であり、観念です』
「そっか、じゃぁ、神ぐらいみじかなのは物体ってことだね」
《まぁ、豚肉は好きだが毎日ではあきるのだ(((\(@v@)/)))]》
 豚じゃなくて、物体ねめぐたん。
 見たり触ったりできる存在ってところかな。
《あはは、ジョーダンなのだ、ジョーダン('^ω^)w》
「ほんとかなぁ・・・」
《それはさておき、セツメーの続きなのだヽ(・ω・。)
 呟き尾形(^^;;)》
『はい。
 まず、物体の観念について、デカルトは、物体を、延長とそれに付随する性質とに分け、我々の理性の対象となるものは、延長のみだとしました』
「延長?」
『ここでいう延長とは、物体が占有する長さや幅や高さなどの空間的な広がりです』
《なんか、むずしーいいかただけど、どういうことなのだ?( ̄、 ̄?)ハテナ?》
『まず、物体の延長というのは、自分自身を私だと認識するコギトエルゴスムによる私の存在と同じ程度明晰判明だとしています。
 それに対して、物体に付随する性質、つまり、物体の属性とは、色や音、味、触覚、熱などの感覚器官を通して得られるもので、その都度さまざまに変化するため、私の存在と同程度に確実に存在するとは認められないとしました』
「えっと、物体存在そのものは確実だけど、物体の感じ方はそうでもないってことかな」
『そうですね。
 これに対し、デカルトは、物体に付随する性質を感覚的に感じ取るような、主観的な性質は、物体そのものに属してい
るものではなく、人間の感覚に対する物体の現れ方に過ぎず、当の物体を実質的に構成するものではないとしました。
《ふに、なんかよくわからないのだ(*´-ω-`*)。oO》
 たしかに、ちょっとわかりづらいね。めぐたん。
『物体に関して、明晰判明に存在すると確信できるものは、客観的な数値化かのうなもの、たとえば、長さ・幅・高さな
どの延長だけであり、これのみが、理性の確実な対象だということです。
 一方、主観的な感覚でとらえられるような色や音、味、触覚熱などの感覚器官を通してえられるものは、同じ人であっ
ても、その時の感情などによって違うように感じることがあり、不安定なとらえられ方がされるので、何が正しいのかは判別できないということですね』
「そっか、だれにでも同じように認識するには数値化とかして客観的にとらえられるようにする必要があって、それは、
長さとか幅とか高さみたいなものだけで、数字以外でとらえられるようなものは」
《でもでも、大きさは感覚で違うぞ( ・_ゝ・)o。
 人によって大きいと感じたり、小さいと感じたりするじゃないかo(-0-)=====〇》
 それは、数字にすることによって共有できるということだね。めぐたん。
 感覚的な大きさの感じ方は違うけど、数字で表される大きさは、みんな同じように認識できるってことじゃないかな。
『そうですね。
 コギトエルゴスムのような私の存在という疑いようのない存在は、きわめて強い確信が必要です。
 ですから、感覚的なようなそのときや周りの環境によって異なる感じ方をするような不安定なものは、疑いえるもので
す。
 それに対して、数字で表される大きさは、明晰判明なので、疑いようのないものだということです』
 それじゃ、アルデベルチ。




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