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呟き尾形の哲学講座
 186号  近世哲学 デカルト  物体の本性としての幾何学的世界観 2

 

 

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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人



★★★
『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(*⌒〜⌒*)/》
「前回は、デカルトは、疑いようのない存在は、コギトエルゴスムの他、数字で表現できる明晰判明なものだってことだよね。
 じゃぁ、人が明晰判明なものってどんなものなの?」
『人間の理性が確実に認識し得るものは、
 一つ目は大きさ、すなわち長さと幅と深さとからなる数字にできる延長です。
 二つ目は、このような延長をもつ種々の物体の相互に占める座標としての位置です。
 三つ目は、物体が移動するような運動、すなわち位置の変化、あるいは座標系上の軌跡・空間化された運動です。
《まどろっこしい言い方だな(>ω<ノ)ノ》
 要するに、神の誠実さの下に人間の理性が確実に認識する世界は、幾何学的な図形の集合体ってことだね。めぐたん。
『そうですね。
 人は数字で表現される幾何学的世界というよりは、五感によって感じ取られる感覚的諸性質をもって物体を感じ取りますが、デカルトはそうした感覚的諸製性質を取り除かれた色やぬくもりのない世界によって、物体を明晰判明にしたのです。
 つまり、主観的な印象や感覚を抜き、数字で表現できると考えているわけです。
 つまり、自然現象は数学で表現できるとデカルトは考えました』
「う〜ん、それって、自然現象は数字でできているってこと?」
「数字でできているというか、数字で表現できるということです』
《どーちがうのだ(◎-◎)》
 たとえば、めぐたんが、シニョール呟き尾形の絵を描いたとするよね。
《ふ〜ん(´-`).。oO》
 このとき、その絵はシニョール呟き尾形を表現したといえるけど、その絵でシニョール呟き尾形ができているとはいわないよね。
《なるほど!(。+・`ω・´)シャキィーン☆》
「でも、どうして数学で表現できるの?」
『感覚によって捉えられる主観的な認識は確かにありますが、その幅や高さ、奥行きというもの数字として理性で認識することができます。
 つまり、空間の数値化です。
 空間のみならず、人の理性は基準を設けて数値化することができるのは、その背後に、数学的に表現可能な幾何学的世界を見ているということですね』
 それじゃ、アルデベルチ。

 
★★★


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