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呟き尾形の哲学講座 
189号 デカルトが残した問題 1

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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人


★★★
『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(v^ー゜)》
「前回はデカルトの合理主義についてだったよね。
 えっと、デカルトの合理主義は、数学的自然科学を根底から
支える世界観ってことだったよね」
《ふに、ようはどういうことなのだ?(?_?)》
 合理主義は自然科学の基礎になった。
 という感じかな、めぐたん。
《だったら、そーいえばいいのだ(o゚3゚)》
「で、デカルトについて、かなり長い間話をしたけど、すごい
ボリュームだね」
『はい。
 やはり、哲学の父と呼ばれる哲学者の哲学についてですから
ね。
 さて、今回はそんなデカルトの哲学が残した問題について
お話したいと思います』
《ふに、問題のある哲学なのか?(; ̄ー ̄)...ン?》
『デカルトは、さまざまな意味で新しい哲学の道を進め、開いた
といえるでしょう。
 ただし、哲学の進歩は新たな問い、つまり問題がだすという
ことを意味します』
 進歩したからこそ生じた問題ということだね。
 シニョール呟き尾形。
「どんな問題だったの?」
『デカルトの哲学がのこした問題は3つあると指摘されています。
 一つは、神の存在とその誠実さを前提としたこと。
 二つ目は、人間の理性は理性が生得観念として備わっているこ
とを前提としたこと。
 三つ目は、思考する精神と広がりを持つ物質を互いに排除しあ
う実体としたことです』
「一つ目の神の存在のその誠実さが前提とすると何が問題なの?」
『一つ目の問題は、哲学とはどういったものが根拠とするかという
立場の問題と言えるでしょう。
 哲学とは、自らの経験と判断を根拠とした知的探求だとすれば、
経験的に体得することが非常に難しい神という存在となります』
《カミサマを疑うのはなんか罰当たりな気がするのだ(;^_^A アセアセ・・・》
『そうですね。中世の哲学はキリスト教を前提としたこともあり、
その哲学の系譜によってつづられた哲学は、神の存在を疑うこと
自体不遜なことだったかもしれません。
 とはいいつつも、デカルトは方法的懐疑を用いたわけです。
 しかし、どうしても神の存在については、よほど強い信仰心
のある人以外は、神の存在を疑いようもない真実としては確信
できないということもあります。
 さらに、だれもが経験的に体得ができない神の存在を前提と
したうえで、幾何学的世界の実在を証明しようとするのは、
無理があるということですね』
「そっか、神の存在とその誠実さを前提とするというのは、神の
存在は疑う対象にしていないよということを前提としているって
ことが問題だねってことだね」
 そうみたいだね、ムーシコス君。
『残りの問題については、次回ということで』
 それじゃ、アルデベルチ。


★★★


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