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呟き尾形の哲学講座
 196号  近世哲学 デカルト デカルト まとめ 6 
心身合一の問題

 

 

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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人



★★★
『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(v^ー゜)》
【こんにちはぁ〜。お久しぶりのフォルスですよぉ〜】
「前回は、デカルトの神の存在証明についてだったよね」
【今回は、心身合一の問題をお話したいと思います。
 まず、心身合一とは、心と体が一致するということです。
 一見当たり前のことではありますが、デカルトに対して、
公女エリーザベトからの書簡において、デカルトは、自身の
哲学において実在的に区別される心(精神)と体(延長)が、
どのようにして相互作用を起こしうるのか、という質問を受
けたことからはじまった問題です。
 問題になるのは、デカルトは心と体の厳格な区別を説いて
いましたが、精神があり、その延長に体があるのですが、心
と体は明確に区別されるもの
で、その心身二元論の立場をとるデカルトにとって、精神と
肉体の関係の問題は、難しい問題でした。
 アリストテレスのこの考えは、精神と物体を明確に区別す
るデカルトの心身二元論からすれば、自然が目的をもつとい
うことは間違いだと言うことになります
 それに対して、デカルトは、心身合一の次元があることを
認めました。
 これは、精神と肉体がそれぞれ独立して存在することにな
るので、矛盾ではないかと指摘をうけたのです。
 つまり、精神と身体の実在的区別するということは、精神
は身体なしで存在し得るわけで、かつ、身体は精神なしで存
在し得るのは、精神は物質的には存在しないけど、体は物質
的に存在するから関係の持ちようが無いわけです
 これについては、デカルトは人間を精神と身体とが分かち
難く結びついている存在として捉えています。
 つまり、精神が身体とかかわりを持つということです。
 現実問題としては、仮に喉が痛いと感じたとすれば、考え
るまでもなく喉が痛ければ、喉が不調なのは明らかです。
 デカルトはこの事実に妥協し、日常の生と交わりを行使す
ることによってのみ知られる原始的概念として精神と身体の
直接的合一を認め、心身合一を容認したわけです。
 つまり、精神と身体が相互作用を起こすということです。
 デカルトは、生理学的説明だけに留まらず、基本的な情念
を驚き、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみの6つに分類した
後、自由意志の善用による高邁の心の獲得を説きました。
 あくまで精神が原因で結果として身体との間に相互作用が
あるということです。能動としての精神と受動としての身体
の関係を認めたわけです。
 デカルトとエリーザベトの書簡では、デカルトは哲学の二
元性をあくまでも実践的・実際的問題として捉えて、自由意
志と神の無限性が論理的には両立しないことを認めています。
 とはいいつつも、先ほど言った通り、自由意志の経験と神
の認識が両立の事実を明らかにしていると書いている。
 結論だけ言えば、デカルトは、形而上学的なレベルでは、
心身分離のテーゼを堅持し、日常的な生のレベルでは、心身
合一のテーゼを是認するのですから、心身合一の問題は解決
していないことになります。
 デカルトは、形而上学的概念や科学的概念では理解できな
い精神と身体とのかかわりのありかたとし、実際に「身をもっ
て」体得するほかない者としました
 原始的概念はそれ自体が一つの次元をもち、他の次元と区
別される概念のこととデカルトは説明します。
 つまり、心身合一の次元、つまり日常の生という物理的な
次元をもたせることで心身合一の問題を解決しようとします。
 つまり、心身合一と心身の二元論は別の次元なので、日常
の生という物理的な因果関係からの考察をと、軽視上学的な
視点の心身の二元論とは関係を持たないということです。で
すから、両立しないことで矛盾することはないと、デカルト
は結論付けました。
 これは、数学上の直線は定義できるけど、物理的には直線
は、実際直線を書いてみると、数学上の直線とはちがったも
のになるけれど、別に矛盾はしないということであり、心身
の実在的区別、つまり、数学の論理的な意味ので精神は身体
なしで存在できるし、身体は精神なしで存在できるというこ
とがいえます。でも、それは、あくまでも、論理的な意味で
の分離可能性が論拠であり、実際直線を引いてみて、数学で
定義された直線とは同じとはいえないけれども、それを直線
とするように、精神と身体が実際の分離するという行為とは
別なので、心身合一に矛盾し無いというわけです】
 それじゃ、アルデベルチ。

 
★★★


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